カンフー映画に影響された作品で話題になったWu-Tang Clan(ウー・タン・クラン)

メンバーそれぞれが個性的なクルー、Wu-Tang Clan
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2018.05.19 04:04



メンバーそれぞれが個性的なWu-Tang Clan


Wu-Tang Clanはアメリカで誕生したヒップホップグループである。

カンフー映画などのサンプリングソースにした作品は、他のグループにはない個性的な要素だ。メンバーそれぞれのキャラが立ったグループであり、ソロ活動も行われている。



どのような活動を行ってきたか


Wu-Tang ClanはRZAを中心人物として、1992年頃に結成された。グループ名のWu-Tangとは、カンフー映画の少林寺武者房に登場する中国武術の一派からとられたものだ。clanは氏族のことでである。

1993年に「Enter the Wu-Tang (36 Chambers)」という作品を発表し、日本では「燃えよウータン」という邦題でリリースされた。ファーストアルバムリリース後はメンバーそれぞれがソロで活動し作品を発表するなど、Wu-Tang Clanとしての活動はなかったが、5年後の1997年にはセカンドアルバムをリリースした。

その後は再びソロ活動が中心となったが、2000年と2001年の2年連続でWu-Tang Clanとして作品を発表した。2004年にはメンバーであるオール・ダーティ・バスタードが亡くなるという悲劇があったが、現在も活動を続けて2007年には作品を発表している。




Wu-Tang Clanのメンバーについて




Wu-Tang Clanの中心人物であり事実上のリーダーとして知られているのが、RZAである。ファーストアルバムでは全曲をプロデュースして、メンバーのソロ活動に関しても作品のプロデューサーとして参加している。また、ジム・ジャームッシュ監督作品のゴースト・ドッグ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・サムライという映画で音楽を手がけて成功したことから、ハリウッド映画作品でも音楽を手がけるようになった。日本の作品でも、アニメシリーズのアフロサムライで音楽を担当している。


グループの中でも最年長でありWu-Tang Clanを結成する前から音楽経験が豊富だったGZAは、1976年のヒップホップがまだ局地的なブームでしかなかったころからラップを行っている。グループとしてデビューする前からソロデビューを果たしており、日本の映画などに言及することもあるのが特徴だ。


Wu-Tang Clanの中でも特に個性的な存在だったのが、Ol' Dirty Bastardである。彼の突飛な行動はメディアから注目されただけでなく、警察から目をつけられることもあった。ソロアルバムは商業的にも成功を収めて、マライア・キャリーなどの大物と競演したこともある。2004年に麻薬の過剰摂取が原因でスタジオで倒れ急死した。


最年少のMethod Manはグループ結成後にいち早くソロデビューし、商業的にも大きな成功を収めた。プラテナディスクとなった作品もあり、グラミー賞も獲得している。詩的な味付けすることでシェフというニックネームをつけられたRaekwonは、スラングを多様した早く情熱的なラップが得意である。詩を書くのが早いGhostface Killahはソロアルバムが好評となり、レイクウォンがソロデビューした際もサポートした。




90年代にリリースされたWu-Tang Clanの作品について


Wu-Tang Clanのファーストアルバムである「燃えよウータン」は、カンフー映画に影響されたサウンドが特徴であり、個性的なMCが自由にラップする作品として知られている。2人のメンバーがアルバム制作と同じ時期に刑務所に収監されていたため参加できなかったことも有名なエピソードである。

セカンドアルバムの「Wu-Tang Forever」は2枚組の大作として発売された。トータルプロデュースはメンバーのRZAが担当して、前作に参加できなかったメンバーも本格的に参加している。特にメンバー全員がマイクリレーで参加しているTriumphは、PVも作成され話題となった。



Photo: https://www.facebook.com/wutangclan/

Written by 編集部




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