日本のテクノシーンをリードし続けているDJ Q'HEYとはどんな人物か?

約30年間活躍し続けている世界的なベテランDJ!
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2018.10.30 13:52

約30年間活躍し続けている世界的なベテランDJ!


北陸地方出身のQ'HEY(キュウヘイ)は、1980年代後半に上京して都内にてDJとしての活動をスタートさせた。そして、国内にて様々なキャリアを築いたのちグローバルな活動をしている世界的なDJで、約30年のキャリアを誇る。そんなQ'HEYのDJとしての活動の歴史を振り返る。



DJ Q'HEYは石川県生まれ


Q'HEYは、1966年に北陸地方の石川県で生まれた日本人の男性DJだ。なお、Q'HEYというDJネームについては、久平(きゅうへい)正也という本名に由来する。ルックス的には俳優顔負けのビジュアルとモデル顔負けの高い身長・体型の持ち主で、その外見は50代に入ってもまったく変わりがない。


Q'HEYは、故郷の石川県を離れて上京し、1980年代後半から世田谷区の下北沢にてDJとしてのキャリアをスタート。1993年12月に青山のMANIAC LOVEという大型クラブがオープンすると、真っ白な壁に囲まれている事が特徴であるMANIAC LOVEでDJとして活動するようになる。具体的には、毎週月曜日から木曜日までの4日間、もう1人のDJと共にミュージック・マシーンという名前のパーティーでプレーを披露していた。そして、当時人気上昇中だったMANIAC LOVEでの活動によって、東京のクラブシーンの中ではとても有名な存在となっていく。





1995年からの活動


1994年にMANIAC LOVEにて積極的なDJ活動をして株を上げたQ'HEYは、1995年に入ると青山のMANIAC LOVEを離れる。1995年初めにオープンした姉妹店・Automatixに活動の拠点を移し、Automatixにて「Moon Age」というレギュラーパーティーのDJを任せられる。なお、このAutomatixという店は諸事情にわずか1年ほどで閉店してしまったが、「Moon Age」というパーティー自体は新宿のLiquid Roomに場所を移して継続された。


1995年までの日本での活動を通じて自信をつけたQ'HEYは次第に海外でDJとして活動する事を夢見るようになる。そして、まずは隣国の台湾に進出して、日本で成功してきたパーティー「Moon Age」を台湾のクラブでも開催し、4000人動員のパーティーを大成功させた。





1997年にCDデビュー


1997年には自身で「Moon Age Recordings」というレーベルを設立して「In The Edge of No Control EP」というシングル作品をリリースし、CDデビューも果たした。なお、CDのリリースは一作で終わる事なく、その後も多数のCD作品をリリースし続けている。さらにスペインやベルギーのレーベルにも所属して多数の作品をリリースしたことでワールドワイドな人気を獲得するようになった。


東京でのDJとしての活動としては、かつてレギュラーDJとして活躍していた青山のMANIAC LOVEからのオファーを受けて「REBOOT」という新パーティーを立ち上げる。彼が以前活躍していた1994年よりも人気・ランクが上がっていたMANIAC LOVEで再び活動し始めた事により、この時期にさらに知名度・評価が上がった。





2000年代以降の活躍


2000年代に入ってもDJとして国内のクラブで活動してきたほか、国内外で多数のCDをのリリースした。さらにヨーロッパ・アジアの多数の国でもプレーを披露する機会も増えて、世界的なDJと昇りつめていく。また、人格者としても知られ2011年の東日本大震災発生後はチャリティープロジェクトを立ち上げて収益金を義援金として寄贈する事にも努めた。


2010年代の国内での目立った活躍としては、2012年に国内最大級の夏フェス「FUJI ROCK FESTIVAL」に出演している。その他、1998年にスタートした「REBOOT」というパーティーは、2005年にMANIAC LOVEが閉店してからも場所を移して継続し、2013年には15周年を迎えた。近年ではラジオDJやゲーム音楽制作などさらに幅広い分野で活躍をしており、50代を迎えて円熟味を増した世界的DJ Q'HEYの活動からは目が離せない。




written by 編集部


photo: facebook


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