音楽プロデューサーとして革新的な音楽を生み出し続けてきたFPMが、デビュー25周年を迎える2020年、本名の田中知之名義で楽曲をリリースした。東京でも緊急事態宣言が解除された5月末、田中知之とm-flo ☆Taku Takahashiの対談が実現。名義を新たに音楽を発表した理由とその経緯に迫る。
☆Taku Takahashi(以下、☆Taku):まずは、今回の新曲を田中知之名義で出した背景からお聞きしたいのですが。
田中知之(以下、田中):FPMは今年デビュー25周年なんですよ。でも、この歳になると「あと何枚アルバム作れるんだろう」って考えちゃうんですよね。今まではそのときやりたいことを素直にやってきたんだけど。
☆Taku:それは僕もあります。
田中:“今一番面白いもの・新しいもの”に興味がありつつも、“遺作”と言われる作品を形として残したいと思うようになってきている。外に刺激を求めるより、今までの音楽的な経験や思考にフォーカスした音楽を作りたい。その制作過程で、“FPMとは何か”という部分を考え始めたら、自分の内側を見つめた作品はFPMではないと感じ始めたんだよね。以前☆Takuくんが「lovesをもう一回やる」って世間に発表する前に教えてくれたじゃない?それで僕が「☆Taku Takahashiのソロアルバムでlovesをやりなよ」って言ったら「いや、m-floは☆Taku Takahashiなんだ」って言ってたじゃん。
☆Taku:あはは(笑)。m-floイコール自分のやりたいことなんです。
田中:うん。でもlovesをやる中で、VERBALとLISAというオリジナルメンバーがいることがすごく大きいなと思って。僕は常にlovesの状態というか、FPMはコラボレーターがいることが前提で。今まではコラボレーターとどんな化学反応を起こすかを楽しんできたんだけど、今回の作品に関しては、自分の内面的な部分を突き詰めた作品を作りたいという気持ちがどんどん積み重なっていったんです。すごく成熟した音楽かどうかはわからないけど、自分としての音楽的思考の純度は極めて高い作品だと思う。
そもそも、“音楽をリリースする”ってどういうことなんだろうとずっと考えていて、自分の中で答えが出せずにいたんです。ここ2年くらいで作ったデモが20曲近く溜まっているんだけど、“フィジカルのリリースがゴール”と考えられなくなってきた面もあって。
☆Taku:パッケージにこだわりの強い田中さんから、今の言葉を聞くのはすごく意外です。
田中:音楽になんらかの付加価値をつけて流通させたいという気持ちは今でもあるから、いざ出すときにはもちろんこだわるし、その部分は☆Takuくんにも継承してもらってると思う。でもそれがCDと言われる商品じゃなくてもいいんじゃないかと思うんですね。例えば書籍、写真集、アパレル、車、食事券。土地の権利書や店舗の経営権とか、そういったものまで広がってもいいんじゃないかなと。
☆Taku:音楽をリリースする手法としてですね。
田中:それどころか、完成形が音楽だけである必要もないかもしれない。僕は映画のサウンドトラックが昔から大好きで、1991年頃から京都メトロで、「soundtracks a go go」っていう映画のサントラだけをかけるイベントをやっていたこともあるんだけど。映画のサントラは、本編の映画があって、その音楽だけをリリースしているもの。僕のCDも同じなんじゃないかと思ったんです。例えば映像と一緒に、ダンスのパフォーマンスとして、食事の体験となって発表されたものが一つのパッケージで、音楽はそのサウンドトラックであるという考え方もあるかなと。音楽のリリースってもっと自由でもいいんじゃないかなと思うんです。
☆Taku:なるほど。それで、今回は自分の内なる声を表現したという意味で“田中知之”名義を選んで、「Alone」「Change the World Again」をリリースした。このリリースタイミングにはなにか理由があるんですか?
田中:「Alone」は1年以上前に完成してたんです。アルバムを作る上でこういう曲もあっていいな、という感じで作ってあった。
☆Taku:コロナでの「Alone」というわけではないんですね。
田中:狙って作ったわけではないです。ただ、冒頭の「Alone」とラストの「Nobody is Alone」という部分はもともと別の人の声だったんだけど、外出自粛になる少し前に自分の声で録り直しました。ずっと一緒に制作をしてくれているナカムラヒロシくんは“だるまに目を入れる”と表現してた。こんな状況だからマスタリングの確認も遠隔で行って。マスタリングは大沢伸一くんのレコメンドでOMKTくんにお願いしたんだよね。大沢くんが「こういう状況だからスタジオを閉めてるところも多いし、僕がディレクションしてOMKTがマスタリングを担当すればいい」と言ってくれて。
☆Taku:大沢さんとOMKTの合作って面白いですね。
田中:そう。ちゃんと自分と繋がってる人と完成させられた。「Change the World Again」も自分のSNSで発信したことがきっかけで繋がった原田郁子さんと高野寛さんにボーカルをお願いできて。今までは考えもしなかったけど、特にコロナのさなか、そういう繋がりの部分がリアルであることにこだわりたかったんだと思う。
田中:今年の3月11日、ちょうど震災から9年の日に家でTVを見ていたんだけど。コロナの影響でこぢんまり開催された追悼式典の途中に虹が出たとか、その後、甲子園の春の大会が中止と発表されたりとか、いろんなニュースが次から次へと流れていて。そのときふと、フィクションよりノンフィクションのほうがすごいんじゃないか、と感じたんだよね。“Fantastic Plastic Machine”という名前通り、FPMはフィクションをみんなで作り上げるプロジェクト、だけどそのときはフィクションがノンフィクションに負けたと感じてしまって。そんなときに、世の中のもやもやした気持ちが自分に降ってきた感覚があったんだよね。それで「Change the World Again」の歌詞ができた。書こうと思っても書けなかった歌詞が、20分くらいで自然と書き上がって、完全にはまったんです。
☆Taku:FPMで日本語の歌詞の曲なんて今までになかったですよね?
田中:自分で作詞したFPMの曲では全くない。昔から自分の中で英語の音楽がスタンダードだったし、日本語以外の言語、英語、フランス語、ポルトガル語で唄われる音楽に影響を受けてきたので。
☆Taku:FPMで作りたい世界観が日本語以外の部分にあったということですね。
田中:そう、日本語表現を突き詰めたい気持ちはあったけど、FPMの音楽とは交差させなかった。FPMはもっとファンタジーの世界だし、リアリティからすごく遠いところにあるもの。だから日本語で歌詞が降りてきた「Change the World Again」は田中知之で出そうと。
☆Taku:なるほど。正直な僕の感想なんですけど、めちゃくちゃFPM感あるなと感じたんですよ。
田中:そうなんです。結局何をやってもFPM感は出てしまうし、実際のところ締切ギリギリまでFPMか田中知之かで悩んでた。正直、自分の中でもまだその境界線は曖昧なんです。
田中:今後、外出自粛の揺れ戻しもあるだろうし、音楽的にも完全に楽天的な音楽が世の中に求められ始めるだろうと思うんですね。こんな状況の中、FPMの音楽にできることもあるんだろうけど、コロナのさなかに本名で内省的な音楽を出すことにも自分としては意味があった。
☆Taku:直感的な部分と、自分の中で決めているルールが両方とも発動して田中知之名義を選んだという印象を受けました。“今は”FPMにあてはまらない感じがした、というか。ひょっとしたらそのFPMと田中知之の間にあるガイドラインは今後変わるかもしれないし。
田中:それが日々変わってるんですよ。情けない(笑)。もう☆Takuくんに導いてほしいくらいです。
☆Taku:2曲とも音響として絶対に鳴る作り方をされつつ、「Change the World Again」はどちらかというとリスニング的な楽曲ですよね。
田中:完全にラウンジーですよね?まだラウンジ・ミュージックという言葉もないときにFPMをスタートしたんですが、ここ3年ほど「FPMとは何だ、自分の音楽とは何だ」と考えた末、究極のラウンジ・アルバムを作ろうと思ったんですよ。ダンスミュージックの制作欲求はdodododという別名義のプロジェクトで吸収していたから、FPMはビートもベースも入ってない音楽でもいいのではとすら思い始めて。自分が一番しびれるラウンジ・ミュージックを作るっていうお題を自分自身に課したんですね。そうすると、自分のずっと聴いてきた音楽があぶり出された。エリック・サティやビル・エヴァンス、マーティン・デニー、70年代のダブミュージックや現代音楽。最初は、自分が聴いてきた音楽を自分なりにアップデートしたいなと思った。でも、過去のいろんなインタビューを読んで、アップデートなんておこがましいなと思うようになって。ヤン富田さんは“ミュージック・ミーム”という言い方をされているんだけど、音楽的な思考は螺旋状にぐるぐる回っているものだから、何が新しいとか古いとかではないんだなと。
でも最初は究極のラウンジ・アルバムに向けてレコーディングをスタートしたときは“2100年のラウンジ・ミュージック”というイメージで、音楽の初期衝動に自分をおいてみようとした。ちょうどビリー・アイリッシュがデビューしたばかりで「これぞ新世代のラウンジじゃないか」と驚いたんだよね。彼女はあっという間に大スターになってグラミーまで獲っちゃったけど。だから当時僕はビリー・アイリッシュのようなアーティストが活躍する時代にアゲインストする更に深化したラウンジ・ミュージックを作るべきなんじゃないかとも思ったり。未だにラウンジ・ミュージックのイメージって、「Hotel Costes」のコンピの感じで止まってしまっているわけでしょ?
そういう思考の中で作り溜めてきたデモが、今回のコロナによってパーンと弾けて出てしまったみたいな感じもある。こじらせてた傷口から膿が出た。このまま膿を出し切るのか、傷口を縫合して進むのかはこれからの課題だけど、今年中にはまとまった形にしたいと思ってます。
☆Taku:ただし、それはFPMで出すのか田中知之で出すのかはまだわからない。
田中:そう。FPMで出すなら、コラボレーターとキャッチーな作品を作る可能性もあるし。「音楽は常に最先端でありたい」という気持ちは自分の中に常にある。だけどそれを実現するために、まずは自分の基礎体力を上げていきたいんですよね。最近のリファレンスは完全にアメリカのショービズ的ヒップホップが多いのですが、例えばサブベースを小さなスピーカーからでも均一に鳴らし切りたいなと思ったら、日々実験を繰り返しリファレンスを越える努力をする。マラソン大会に出るために毎日走り込みをするようなイメージです。
☆Taku:田中さんも低音の鳴り方は数年かけて研究してらっしゃいましたもんね。
田中:デフォルトの方法で作るのは簡単かもしれないけど、自分は違う方法で到達したいな、とかね。ここ何年かはナカムラくんと一緒に、自分のスタジオの配線から作り変えて、音の出し方もいちから研究してきた。そうやってストイックに続けたことが自分の中で自信になってると思う。前までは「Beyoncéのアルバムはどうしてこんなにもサブベースがきれいに鳴っているのだろうか?」って具体的な方法がわからなかったんだけど、今はトレンドの音の作り方や最高の音響の導き出し方に自分達の力で少しづつアプローチできるようになった。
体力が付いたら、さて何を作ろうかって話で、結局はさっきも話した自分の内なる声に耳を傾けるというところなんだよね。それまでは、ありがたいことなんだけど、あまりにも仕事が忙しすぎて内省するチャンスがなかったというか。今はDJにしろ制作にしろ、FPMを始めた頃のような自分の作りたい作品を純粋に作れるという状況はすごくラッキーだと思います。過去は「このくらいの枚数を売りたいです」とか、「J-WAVEのTOKIO HOT 100のTOP10に入るようなキャッチーさを」とかレコード会社から請われて、逆にそれをモチベーションにしてきた部分もあったけど、そういうことからも解放された。ただ、自由なものを作ることほど難しいこともないですよね。
☆Taku:自由であればあるほど、自分との向き合い方が深くなる気がします。
田中:そう。だからここ最近作った曲はデモ音源すら他人に一切聴かせずに、僕の心の声に真摯に耳を傾けてくれるナカムラくんと2人だけでスタジオにこもってやってきた。自分なりのラウンジという言い方が正しいかはわからないけど、25周年に出す音楽としてのベースはできたのかなと。そこにコロナの事がきっかけに外的な力が加わって完成したのが今回の2曲だと言えますね。
☆Taku:先日もABEMAのDJ配信番組「YOUR HOUSE」で田中さんとご一緒させてもらって。トリビュートをかけたり、配信DJの中でも田中さんらしい表現をされてましたよね。制作だけでなくDJの自由度も高まっている中、自分のDJ表現が変わってきたと感じることはありますか?
田中:そうですね。数年前にEDMの大きな流れがあって、DJたちはその波に乗るか乗らないか判断する瞬間があったと思うんだけど、僕はアプローチしない方を選択した。でも、EDM以外の居場所があったかというと、そうではなかった。これはEDMの話より以前からだけど日本のクラブシーンの各ジャンルにはそれぞれの硬い貞操観念みたいなものがあって、それらが交錯することはなかなか難しい。だったら自分は独自の場所を作り上げようと思って、自分でパーティーオーガナイズをしてきた。
そんな中、このコロナによって配信でしかDJができなくなって、どういうDJをするべきかは考えた。配信のDJって難しいよね。いろんな議論があるとは思うけど、自分の中で拒んできた懐古主義的なプレイも配信ではありだなと思ったり。例えば、子供やお年寄り、クラブに行ったことのない人がストイックなテックハウスのセットを聴いて楽しめるのか、とか。実はいろんな層の視聴者を考慮して、オールジャンルで繋いでいくようなセットを何年かかけて構築してきたんですが、芸は身を助けるじゃないけど、自分の中ではかくし芸だと思ってたそんなセットを配信のDJの中で少し取り入れたり、パフォーマンスとしてキャッチーなものがあってもいいのかなと。もちろん「アナログレコードだけでレア・グルーヴを」とか、「四つ打ちで深い世界感を」とか、自分の中にある様々なセットの精度を上げていきたいと思ってる。DJの本数が減った分、ひとつのプレイに対してすごい集中力で臨めるようになったし、まだ伸びしろはあるんだなという思いです。
☆Taku:まだ予測がつかない部分もあると思うんですが、楽曲を作品としてリリースすることと、DJやライブといった人前で見せる表現とのリンクも考えていますか?
田中:今は、ライブをやりたいなと思ってます。楽器を演奏して…というライブではなく、ショーという形で。1曲目は映像が流れて、2曲目はダンサーが出てきて、というような。
☆Taku:ショーとインスタレーションのミクスチャーみたいな感じですね。
田中:そう。現代芸術的で、CDはその複製品でしかないというイメージ。DJ表現との親和性も作れるし、並行してすごくアッパーなものを作り出すこともできると思う。
☆Taku:今日お話していて、田中さんの音楽に対する衝動をすごく感じました。
田中:そういう衝動に導かれたいとも思ってるのかも。こうあるべき、という形を決めないで、決断が定まらないことを自分で楽しむしかないなという感じ。もともとが雑食だし、作品も一貫性がないので。さっき話に出た「YOUR HOUSE」でも「こんなプレイ、FPMにしか許されないよね」っていうコメントがあったようで、すごくありがたいことだと感じた。ブランディングとして、一芸に秀でる、一貫性がある、ぶれない、ストイック、といったイメージに憧れて目指していた部分もあると思う。一方で、振れ幅がある中で自分を表現する、というブランディングが出来上がっていて、それは願って手に入れられるものではないのかもな、と気づけた。
☆Taku:一貫してる人のすごさもあるけど、彼らは田中さんができることはできない、と。
田中:正直、「チャラい」と言われるからこそチャラくないものを出したいと思ってる部分はあるんだよね。でも、それに囚われすぎると大切なものを失うかもしれないと、このコロナが教えてくれたような気がした。もちろん自分のブランディングを更に磨いていかなきゃいけないんだけど。
☆Taku:その土台はもうありますよね。
田中:複数名義での活動を今スタートすることが正しいかどうかもわからない。でも軸足にFPMがあることで自由度は上がるなと思う。帰る場所があるというか。
☆Taku:そうやってできた楽曲が聴けるのを楽しみに待っています。
新曲「Beethoven : "Moonlight Sonata" by 137 Pianists」が6月10日より無料公開。
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ベートーヴェン : 137人のピアニストによる「月光」
Beethoven : "Moonlight Sonata" by 137 Pianists
田中知之 / Tomoyuki Tanaka
All Concept and Produced by Tomoyuki Tanaka
Ludwig van Beethoven (1770-1827)
Drawing : NABSF
QR code URL ⇒ http://www.fpmnet.com/moonlight/moonlight.html
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田中知之が究極のラウンジミュージックと評するベートーヴェンの「月光」をテーマに、プロの演奏家からアマチュア、老若男女、国籍も様々な人々が演奏した音源を137人分サンプリング~再構築した怪作。
今作は、桑原茂→氏が手掛ける『FREEDOM DICTIONARY No.194』(2020年6月10日発行)にアート作品として掲載。
NABSF氏が描き下ろしたベートーヴェンがマスクを装着したコンセプチュアルなイラストにQRコードが添えられており、アクセスすると動画と共に新曲が聴けるという仕様になっている。
■田中知之コメント
世界一有名な作曲家による世界一有名な楽曲であるベートーベンのピアノソナタ「月光」を録音し、発表するなら、どんな手法が良いのだろうか? そんなお題を自分自身に課しました。何ヶ月も考えた挙句、田中知之の「月光」が完成しました。オリジナルのリリースは、レコードやCDではないのはもちろん、各種サブスプリクション・サービスやYouTubeでもありません。謎の天才画家NABSF氏描き下ろしによるガスマスクをしたベートーベンの肖像画に添えられたQRコードからのみ視聴していただけます。とは言え、この肖像画付きQR コードは自由にシェアしていただければと思っています。ベートーベンが生誕250年を迎えた2020年、世界を一変させてしまったコロナ・ウイルスの伝染は是が非でも阻止したいのですが、恐ろしいウイルスの代わりに、この作品が世界中に少しづつシェアされ伝染していくのが私の願いであります。
photo by Ki Yuu
written by Moemi