日本を代表するトラックメーカーとして、大活躍を続けるのがSeihoだ。たぐいまれな音楽才能を武器に次から次へとヒット作品を生み出した手腕には大きな注目が集まっている。もはや、日本を代表するアーティストとして世界中からの注目を集める存在といっても過言ではないだろう。
ダンスミュージックファンであれば、誰もが知っているのがSeihoである。その実力については、日本一のトラックメーカーとして多くの人の支持を集めている。Seihoの凄さといえば、その並外れた実力もさることながら、決してうぬぼれることなく高みを目指して貪欲に突き進む点を挙げる人も多い。そんなSeihoは、他のアーティストとの共演にも積極的に応じている。優れたアーティストやミュージシャンとの共演をすることによって得られるエネルギーや躍動感が、自らの成長にプラスの効果をもたらすことになるという考え方に立っているからだ。他のアーティストやミュージシャンとの共演は絶対にNGという人が多い中、貴重な存在といえるかもしれない。
最近では、三浦大和とのコラボレーションが大きな話題を集めることになった。三浦大和については、まだまだ成長が著しい若手アーティストとして、絶対的人気を誇っている。そんな三浦大和とのコラボレーションについては、トラックメーカーのSeihoにとっても願ってもないチャンスだとして並々ならぬ思いで挑戦することになった。Seihoの知名度を一気に押し上げることになったのは、Sugar's Campaignとしてのメジャーデビューである。登場すると、たちまち、その持ち前の実力を遺憾なく発揮することになった。ダンスといえば、海外アーティストの影響を受けるケースが多く見られたが、Seihoと三浦大和が組むことにより、「純国産ダンスミュージック」が登場することになった。三浦大和とSeihoが組むことになったきっかけは、意外にもSeihoが三浦大和に興味を持っていたということに起因している。トラックメーカーとしての確固たる地位を既に確立しているSeihoからの思わぬ誘いに対して三浦大和は喜びを感じることになったという。
日本でも指折りのトラックメーカーであるSeihoからの誘いを受けることができるアーティストの数は決して多くはないだろう。流行り廃りのスピードのはやい音楽業界では、売れ続けるということ自体が至難の業だ。Seihoがトラックメーカーとして成功したのも、その卓越したスキルやノウハウを持ち合わせていることだけが理由ではない。与えられた才能を更に進化させるための努力を惜しみなく続けているからである。
Seihoといえば、いかにも長きにわたって日本の音楽界を牽引しているイメージがあるが、実は1987年生まれという若さだ。音楽に興味を持つことになったのが、中学生の頃に買ってもらったギター。高校時代に選んだクラブは吹奏楽部であり、トロンボーンを担当していた。そんなSeihoが音楽家としての頭角を現すようになるのは、電子音楽に夢中になって以降だ。携帯電話での着メロを制作しては、インターネットに投稿するということを繰り返していた。やがてインターネット上で、その存在が騒がれるようになった。その後、デイ・ドリッパー・レコーズの設立に注力し、「マーキュリー」というデビューアルバムをリリース。空前のヒット曲となった。Seihoの挑戦はアメリカ合衆国に行っても続くことになる。ディスクロージャーの前座という大役を務めることになり、それも無難にこなすことになった。このように活躍の舞台は日本にとどまることなく、海外にも波及することになる。
Photo:
Written by 編集部