Written by Jun Fukunaga
Photo: Photography by Skinny
*取材協力: H.Nakajima
日本でも有数のクラブシーンのメッカである大阪は、2010年頃から「風営法」の取り締まりが強化され、主にクラブが集まっていた心斎橋周辺では、それにより店舗の閉店や、実質的な廃業を余儀なくされるという状況に陥った。そして、2012年4月には、梅田になる老舗クラブ「NOON」が、風営法の厳密化により摘発。現在は、その後のクラブ関係者をはじめ、法改正のためのミュージシャンらによるロビー活動などもきっかけに法改正への多大なる努力もあり、改正風営法が施行される2016年6月23日より前に、NOONの元経営者・金光正年氏の無罪が、同年6月7日に最高裁での無罪判決が確定し、「許可なくダンスさせた罪」に問われることはなくなり、改正風営法の基準に沿り、許可を受けた店舗は、晴れて朝までクラブを営業できることとなった。しかし、そんな大阪では、これまで大阪のクラブシーンを長きに渡って支えてきた、いわゆる「音箱」と呼ばれる、音楽好きが集うクラブの数が以前に比べ減少し、今はもう同地に存在しない、かつて「名店」と呼ばれたクラブも決して少なくない。
現在、これまで関西のクラブシーンの中心的存在を担ってきた大阪は、シーンの変革の時期に直面しており、確実に何かが変わった「風営法問題」以降の現実と向き合っている。そんな中、同地で活動するDJや、プロデューサー、オーガナイザーに、彼らが実際に考える「大阪のクラブシーンの今と未来」について聞いてみた。
今回は、その連載第一回目の前編として、風営法問題以前から、現在まで大阪で活躍し、シーンを築き、見続けてきた、いずれも長いキャリアを持つ、BENKAY、DJ MINAMI、Kenta "Eykan" Isa(*A→Z順)らの考えを紹介したい。
*左からBENKAY、DJMINAMI、Kenta "Eykan" Isa
- 1.現状の大阪のクラブシーンは、以前と比べてどのような状態だと考えていますか。
- BENKAY:風営法の取締りで大阪がモデル都市になってしまい、その後に状況が一変してからだったと思うんですが、大型店などからも見られるようにコンテンツのバラエティを可能な限り一極化させ、商業としてクラブという環境に大勢の人達を呼び込むという成功例が物語る通り、産業としては確実に発展の一途を辿ってると見受けられます。しかし、カルチャーの繁栄という側面ではコンテンツそれぞれバラエティに富んだものが少なくなったという事が懸念すべき点ではないでしょうか。クラブから新たなムーブメントやカルチャーが誕生しにくい時代とも言えるかもしれません。隣のクラブでもお決まりの同じ音楽がかかっている事が頻繁にある、と言えば伝わるかと思います。過去には現存した音箱であり高級店。簡単ではないですが、これからは正攻法ではなく自らシナジーを起こしにいかなければいけない時代に直面している思います。DJ MINAMI:以前というのがどこまで遡ればいいのかは分かりませんが、時代はいつも細分化されたアンダーグラウンドといわゆるディスコ的な大衆化の2分に分かれてきたと思います。おおよそバブル期のディスコ時代終焉からのクラブシーンということであれば細分化されたアンダーグラウンドな雰囲気、音楽、箱構え(ちなみに自分はこの頃にDJとしてのキャリアをスタートさせました)からそれに対しての雰囲気、音楽等のイニシアチブは箱が持ちながらもディスコ的な要素を含んだCLUBの台頭、そしてさらにお客のニーズにかなり合わせて運営するよりバブル期のディスコに近い考えを持ったCLUBの台頭と良い意味で大阪のクラブシーンも一周してきたなと感じていますね。Kenta "Eykan" Isa大きく変わった点は、クラブという場所で遊ぶ人口が増え、より大衆化し、気軽に楽しめる場になったことです。僕が見てきた大阪のクラブシーンというのは、2000年から2007年、そして2013年から現在までの期間ですが、その間でクラブへ踊りに行くという敷居が低くなったという事とも言えます。クラブ人口が増える事で、誰もが気軽にクラブを体験し、人との出会いの機会を多く作りだすことが出来ます。その機会が増えることで多くの人々がダンスミュージックへ興味を持ち、ダンスミュージックの良さを感じる機会が増える。これはDJ以外にも、関わるエンタメ関係全ての人達にとって凄く嬉しい事です。この次の段階として、音楽性の大衆化に伴い失われていた文化性、音楽性、そしてファッション性に深みをプラスαしていく事が今後成熟したクラブシーンへとステップアップしていく大事な要素かと感じています。これらの要素が今の大阪の多くのクラブに融合すれば、大阪は日本一平日から楽しめるカッコ良いクラブシーンを有した都市となるでしょう。期待しています。
- 2.その状況下でのご自分の活動は、これまでよりある意味制限されていると感じますか?
- BENKAY:前述した通り、一極化が目立つこのご時世に違う方角に舵を取る事は言うまでもなく簡単な事ではないですが、自分が今年から心機一転取り組もうとしているコンテンツをデザインしていくという部分が面白い事に今までとは真逆の環境となり、今度は意見を求められる立場にもなります。個人としては制限から責任に変わったというのが一番の答えかと思います。DJ MINAMI:自分は2015年からエージェンシーと契約しているのでエージェンシーの利益に沿って動いてる面が多い為、ある程度の制限はもちろんあります。ですがそういう事は世界的に見てもどこでもありますし、ナイトクラブのメッカとも言うべきアメリカのシーンなんかでも昔からよく聞く話なのでどちらかというと制限されているという感覚よりも日本もようやくそういう事でDJ仲間と話しをしたりする事になる時代が来たんだな、シーン自体がそこまで大きくなってきたんだなという実感の方が強く感じています。Kenta "Eykan" Isa自分は現在、東京のレーベルにて勤務し、クラブ運営側の方々と一緒に協力してビジネスをさせて頂く身として、制限というものは今迄特に感じた事はありません。関西のクラブシーンを大衆化へと持っていった一大クラブグループが存在し、この方々が皆さん共通して意識が高く、これからの大阪のクラブシーンに深みをプラスαしていき、面白いクラブシーンを作っていってくれると思います。
- 3.今後大阪のクラブシーンはどのように変化していくとお考えですか。またその過程で大阪のクラブシーンはどのようにそれと関わっていくべきとお考えですか。
- BENKAY:時代というものは必ず周るものなので、今年辺りからディスコ箱全盛の時代から音箱というアートやカルチャーの発信基地として機能するようなクラブがまたスポットを浴びる幕開けの年になると期待してます。また今までの流れを分断するのではなく、進化させたような高級店であり一流のサービスがある音箱といったハイブリッドなクラブが繁栄すれば個人的には嬉しいですね。そこから過去には現存したファッション系との融合など、クラブから流行を発信できるような時代にまた入っていければ理想です。DJ MINAMI:自分は約10年程前からアメリカの今で言うオープンフォーマットスタイルのPARTYを色々見て来ていますがここ最近の流れではそのオープンフォーマットスタイルのPARTYではいわゆるEDMというかELECTRO HOUSEのかかる時間がどんどん短くなってきています。大阪でもここ5年くらいはジャンルの垣根飛び越えてEDMという一つの巨大化されたフォーマットでまとまっていた感はあると思いますが向こう2,3年を考えた時また少しづつでしょうが細分化というか広がったからこその拘る感覚がお店側にもお客さん側にも出て来るのではないでしょうか?大阪のクラブシーンも徐々にそうなっていくだろうしそういう感覚に上手く対応していくだろうと期待しています。Kenta "Eykan" Isaその時々のトレンドの音楽性をベースにしながら大阪のクラブシーンは拡大していくと思います。今後は風営法の変更に伴い、ファッション業界や芸能界とより密接に関わっていくべきだと思います。ファッション業界や芸能界の方々も気軽に来る事ができ、誰もが一緒に遊べる場を作っていくと、よりオープンな場所としての認知も一般化し、ビジネス規模も拡大するでしょう。以前から特異的な文化性を背景に生まれるコアなアンダーグラウンドシーンはいつの時代にも存在し、常に少数派としてですが今後もずっと残っていきます。アンダーグラウンドシーンはよりクラブが一般化しクラブ人口が増える事で、そこから派生してくるコアなダンスミュージックリスナーの増加の恩恵を受けて、少しずつ拡大していくでしょう。
▶︎今回のインタビューを振り返ってみて三者の意見を聞いて、まず、現状の大阪のクラブシーンに関しては、風営法問題以降、アンダーグラウンドな音楽に特化した「音箱」とは違った、ディスコ箱と呼ばれるスタイルが隆盛し、商業的には成功し、大衆化したが、クラブカルチャーとしては新たなムーブメントが生まれにくい状況になってきているという認識を持っているということが印象的だった。次にそのような状況下において、活動が制限されているかという問いに対し、現在の主流から別の方向にシフトするという点では、容易ではないとしながらも、ポジティブに良い意味で大きくなったシーンを発展させていこうという点において、「制限」というものは感じず、彼らは活動しており、また、最後に今後の大阪のクラブシーンの変化については、ビジネスとして大きくなった市場を戦場に、次は現在の大衆化したクラブを発展させ、アンダーグラウンドな音箱にあったアートやカルチャーの発信の場としての要素を取り組むことで、両方の良い部分を併せ持った、次世代のクラブシーンを作り上げたいというBENKAYの想いや、EDMという一つの巨大化されたフォーマットを通過したからこそ、次は、音楽への拘りからくる”細分化”が再びやってくるというDJ MINAMIの考え、そして、よりクラブが一般化しクラブ人口が増える事で、そこから派生してくるコアなダンスミュージックリスナーの増加の恩恵を受けてシーンはさらなる発展を遂げるというKenta "Eykan" Isaの意見からわかるように、皆一様に、今後の大阪のクラブシーンに対しては、希望を持っており、それを実現するために今も現場の最前線に立っているということがわかった。後半は、同じく長気に渡り大阪のクラブシーンを支えてきた、D41&ENERGY_DAI、NAO NOMURA、Yashima、2shanti、沖野好洋(Kyoto Jazz Massive)(*A→Z順)らが考える「大阪のクラブシーンの今と未来」を紹介する。▶︎後編はこちら。
- 【DJ/プロデューサー・プロフィール紹介】(*A→Z順)BENKAY(TryHard Entertainment)1995年よりDJとしての活動を開始し今年で22年目を向かえる。ヒップホップ、オープンフォーマット、そしてハウスへと自身のスタイルを変化させ、日本には数少ないハイブリッドなスタイルのDJとして大阪を拠点に全国、またアジア圏で活動中。近年では2016年11月までの二年間、大阪クラブピカデリーの看板イベントである毎週土曜日に開催されていた"MIRAGE"を主宰し、他にはなかなか類を見ないパーティーとして多くのファンを産み、コンテンツデザイナーとしても注目を浴びる。そして、その才能を認められ2017年より"MUSIC CIRCUS"などで知られるトライハードへ移籍。DJとして、また制作者として今後の活動が注目されるアーティストである。https://twitter.com/BENKAYOFFICIALDJ MINAMI(TryHard Entertainment)レコード屋を経営していた父と元ダンサーの母を 両親に持ち幼少の頃から両親の影響で自然とHIPHOP、R&B、REGGAE、JAZZ、BLUSEなどを基礎としたUSのダンスMUSICを耳にするようになっていた。その後、14歳の時に初めてクラブに行きクラブDJと言うものを知るようになり15歳の時、ターンテーブルを購入し自身もクラブDJとしてのキャリアをスタートさせる事になる。その後、15歳の若さから現在まで大阪の主要な大箱で活動範囲を広げ数々のPARTYでPrimeTimeを任せられてきた。中でも、Rock the House@Motherhallでは3000人を集める。1999年から20007年まで毎週日曜日に開催されたSOULFREE@Underlounge では毎週1000人を動員する伝説のPartyとなり全国にDJ Minamiの名前を知れ渡らせる事になる。それらの中で様々な海外アーティスト(KENNYDOPE&DJ ARAMO"BRANDNUBIAN"/DJ PREMIRE/DJ JAZZYJEFF/DJ CLARK KENT/DJGRAND MASTER FLASH/DJ WHOOKID/DJ KID CAPLI/Strech Armstrong/DJ ENUFF/DJ TONY TOUCH/DJ Cash Money/DJ Camilo/DJ SELF/DJ SKRIBBLE/AFRO JACK/Steve Aoki/SHOWTEK/CEDRIC GERVAIS/DEORRO)らとも共演する。また楽曲制作などのプロデュースにも力を注ぎ、N.Y在住のトラックメーカー"Tah"EQ-KNOCKと共にプロデュースチーム"HIGHMARKET SOUNDS"を結成。2005年には、アメリカ東海岸にて念願のDJツアーを実施し (club AVALON(ex Lime Light),club CROVER,club TEMPLE,BB King(コネチカット),etc…)マンハッタンの最先端のクラバーから絶賛を浴びる。2008年秋にも再度東海岸ツアーも決行した。現在のレギュラー パーティーの主は、まず月曜日の"melt"@GIRAFFE & “melt” After Party @G2、水曜日の"SET"@OWL、金曜日の"HOTSPOT"@GIRAFFE osaka 4F & “HOTSPOT” After Party @Ammona、土曜日の”EN”:CORE@GHOST ultra lounge、日曜日の”SUNDAY DRUNK @G3と全て毎週開催され、さらに、毎月第2日曜日、名古屋、ORCA NAGOYAと第4日曜日、神戸、HOME@LARUS KOBEで出演、どのパーティーも大盛況となっている。2008年4月に彼とその他の日本を代表するDJが多数参加するインターネットラジオ“SWAYBEATZ” (www.swaybeatz.net)のCEO(現在閉鎖)としての経歴を持つなど、多角的に活動範囲を広げる。2011年よりは、韓国、上海、台湾などアジア地域からもブッキングのオファーを受け、2015年TryHard Entertainment, TryHard Artistsと契約。同年2月に韓国ツアーを決行するなど、断続的に活動の幅を広げ続けている。TWITTER : http://twitter.com/djminami FACEBOOK : http://www.facebook.com/djminami SOUNDCLOUD:https://soundcloud.com/djminamiKenta "Eykan" Isaavex EDM (A&R,Booking Agent & Local Management for International DJs)2002年頃から大阪でDJを始めクラブシーンに身を置く。その後2007年よりCalifornia,New Yorkに移住。帰国後avex EDMにてA&R兼マネジメントDJのブッキングエージェントとして国内外のクラブシーンに深く携わっている。http://avexedm.jp/