モーリー・ロバートソン、テレビで発言した「不純異性交遊で高校退学」の真相を語る

モーリー・ロバートソンがテレビで発して新聞の見出しを飾った「不純異性交遊で高校退学」発言の真相とは?
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2019.04.17 10:00

毎週木曜日夜9時よりblock.fmで生配信、国際ジャーナリストでDJのモーリー・ロバートソンさんの番組『Morley Robertson Show』。今回の番組では自身がテレビ出演時に発した「不純異性交遊で高校退学」について語っていました。新聞の見出しまで飾るほどの話題になった発言の真相とは?


毎週モーリー・ロバートソンのラジオが聴ける番組は、こちらをチェック。


「Morley Robertson Show」

生配信:毎週木曜夜 21:00 - 22:30





モーリー:いまですね、自分の名前「モーリー・ロバートソン」でスマホでニュース検索をこの瞬間にかけたところ、デイリースポーツが7時間前に私の記事。そしてサンケイスポーツが4時間前に私の記事を書いております。私はですね、もはや芸能媒体に追いかけられて記事が出てくる人になるんですね。


それで、そこに書いてある文面を見るとですね、見出しが「モーリー氏、高校は『不純異性交遊』で退学。生放送でポロリ」と書いてあるんですね。記事のいちばん最初を、何のことかわからない人のために読んでみましょう。


https://www.sanspo.com/geino/news/20190411/geo19041116220033-n1.html


「ジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏が11日、日本テレビ系「スッキリ」に出演。若き日に通っていた高校を不純異性交遊により退学させられていたことを明かした」ということなわけですよ。


そして、「番組では高校などの髪型の校則について議論。『校則を守っている中で先生によっては注意される』『髪色、髪型が派手だから中身が派手とは限らない』など現役高校生の声や、『極端なカットや髪型にはしない』『ドライヤーなどで明らかに茶色く変色した場合も対象』など、都内の高校で実際に定められている規則も紹介した」という。


その中で、「意見を求められたモーリー氏は『そもそもこういう議論ができる時代になったことがありがたい』と切り出すと、『自分が高校生の頃というのは広島県の私立に通っていて、そこは退学させられたんですけど。不純異性交遊とかで』とポロリ。この突然の告白にスタジオから困惑気味にも笑いが起きた。」という。「な、なにを言っているんですかー!? もう後の話が入ってこないですよ!」みたいな。


それで、「モーリー氏は『髪型は…』と慌てて議論に戻ろうとするも笑いは収まらず、MCを務めるお笑いコンビ、極楽とんぼの加藤浩次(49)も『そっち気になっちゃいますよ』と食いついたが話題は元の話に。『うちの学校は髪の毛は結構自由に選べたんだけど、そのかわり、からめ手でディスコ禁止、ゲームセンター禁止、不純異性交遊禁止みたいにそっちから締めていった。だから生徒を管理したがっていた時代というのは強く感じていた。それが今はたまたま髪の毛にきているだけだと思う』と推測。最後は『髪の毛はあるうちに大事にしたほうがいいと思いますよ』とアドバイスして締めた。」ということなんですね。


そしてその後これが騒ぎになっていったので、番組終了後にエゴサをしたところ、みんながこれに反応していた。で、「あ、そうなんだ。じゃあ、これはblock.fmの番組で今夜、生で発表します」と宣伝ツイートしたところ、それまでも記事に含めてくれたんですね。


https://www.daily.co.jp/gossip/2019/04/11/0012231997.shtml


私の告知をそのままステレスで記事にしていただいた。そのありがたみがあるので、それに応える形で今夜はこの番組の中で自分の黒歴史。モーリーはかつて、広島県の私立高等学校で不純異性交遊とその他をもってですね、不純異性交遊等をもって退学させられた。その真実を話します。今夜もお付き合いください! Pendulum『Blood Sugar (Knife Party Remix)』、うぇいよー!


Pendulum『Blood Sugar (Knife Party Remix)』


(中略)


モーリー:じゃあ、不純異性交遊話、約束通りいたします。でね、まずですね、こういうニュースを見つけたので紹介してみたい思います。これはですね、4月8日月曜日に出た時事の記事なんですけども。「30代、1割が性交渉未経験=男性は低収入と関連-東大」っていう見出しです。「異性との性交渉を経験したことがない成人が増えており、2015年時点で30代男女の1割が未経験だったと東京大学客員教授らのチームが8日、英医学誌に発表した」と。どうするんだ? こういう日本の実態をイギリスの医学系の雑誌に発表されちゃってね。


「チームによると、男性では収入が低いほど未経験率が高かった。上田ピーター・東大客員研究員は『性交渉を求めない傾向は“草食系男子”などと言われてきたが、実際には収入や雇用形態の影響で不本意ながら経験していない面があるのでは』と分析した。」という。


https://www.jiji.com/jc/article?k=2019040800255&g=soc


ということでですね、なんか人口が減っているこの日本で、なんて言うの? 「エッチしたことありません(30代)」が10年後、「エッチしたことありません(40代)」みたいなトレンドもあるわよっていうことなんですね。それでそこには非正規雇用であるとか、グローバリズム、南北格差などなど、複雑な要因があって。そこにはアベノミクスも絶妙に、この小泉改革以降。竹中平蔵さんが絵に描いた餅をみんな追い求めて。まあ、いろいろあります。


もしかしたらユニクロ、イオン、シャッター街、スタバ……こういう要因もあるかもしれません。まあそれはそれで学者さんにご検討いただくとして、不純異性交遊を30代どころか、ええと16歳の誕生日の前ぐらいにしたかな? そういう話を今日はしていきます。まずは私の生い立ちからです。


私は1963年の1月に生まれました。母親は日本人のジャーナリスト。父親はアメリカ人の医師です。そして広島県広島市に5歳の時に親子で引っ越しました。それがきっかけで日本の小学校にも5年生以降行き、そしてそこで中学受験をして、広島の名門校御三家。広大附属、広島学院、そして修道学園というものがあります。


その中の三つ目の候補であった修道学園に滑り止めで合格したんですね。本当はミッション系の広島学院に入りたかったけれども。まあでもいま時間が経ってみると、ローマ法王以下、カソリック教会は広範にわたる性的虐待が報告されているので、私が学園に行っていたら、当時かわいかったからたぶん、チキンミートになってたんじゃないか。誰かのナゲットになってしまっていたかもしれない。それが免れたっていう意味では落ちてよかったのかもしれないですね。神の見えざる手が私を広島学院から修道へと向けたのです。


修道学園に合格した時っていうのは、たしか受験番号が81だったんですよ。そこでその81という数字をですね、中学の因数分解とかを勉強していく中で、これが3の4乗である。3×3×3×3。9×9ですね。そこに不思議なお導きがあるということで、以来こういった特別な性質を持った数字を見るたびに、神の見えざる手を感じてるわけです。





それが不純異性交遊へとはつながってません。ただ言ってみただけです。で、私は中1、中2の1学期まで広島市の修道学園。南千田西町にあります。路面電車から降りて、御幸橋という駅から歩いて行くと15分ぐらいで修道に行けます。で、そこは男子校でバンカラで、先生は厳しい……怖いお父さんのような先生たちが担任でした。どのホームルームもそうだったんですけども。


でね、まあ厳しくて。この学校。修道学園。いまももちろん修道学園の在校生がいて、もしかしたらこのアーカイブが消える前に君は僕の話を聞いてるかもしれないけど、だいぶ前の先輩の話として聞いてほしい。僕から君へ。で、「質実剛健」「知徳並進」というスローガンが学校のモットーです。「知徳並進」というのは知識と人徳。「並進」はまさにいまの北朝鮮の「ビョンジン(並進)」というのと同じなんですよ。2つのものが並行して進む。


経済と核開発。金正恩が図らずもエンベッドされていたマトリョーシカ人形、タイムスリップして北朝鮮。「知徳ビョンジン」。そしてもうひとつのスローガンというのが「質実剛健」。これはまあ、武士道でございます。でね、その「質実剛健」っていうのはたとえば修道学園では6月とかになって太陽が……「安芸の小富士に茜さし」という歌があります。安芸とは中国地方のことですね。その安芸の小富士、これは山なんですけども。そこに黎明がさして、その強い光。


「安芸の小富士に茜さし 希望の光輝けば 狭霧に迷う雲はれて 万象栄光を享くる時 若き健児の血は湧きて 高き理想に生くるなり」「見よや修道魂を」。そういう(校歌の)学校でした。で、修道魂はですね、「安芸の小富士に茜さし」。つまり6月の朝、朝礼があります。で、その朝礼をやっている時にその光が瀬戸内海っていうのはものすごく強くて。僕ら、場合によっては黒い詰め襟を着ていた日もあったんじゃないかな?


それでみんなで朝礼をする。そこに強い光が首とか制服からのぞいている手首とか頭の後ろとかにカーッと差すわけですよね。で、その中でみんなじっと気をつけをして、一心不乱に前を向いて、校長先生や教頭先生の話を聞きよる。その中でね、時々いまで言う熱中症。バタッ、バタッ……とあちこちで倒れるわけです。で、これはですね、男子校、修道学園の習わしのひとつとして、もうネーミングがついておりました。「バッタ」と。


「あっちにもバッタがおる」「こっちにもバッタがおる」。保健の先生が走っていって抱きかかえて保健室につれていく。「次のバッタじゃ!」みたいなね。そして、バッタだった青白い子がテニス部に入って。ひたすら修道高校っていうのはグラウンドを走ります。走って走って走りまくります。とにかく根性で走ります。1年後、その人はチームの主将になっている。中2チームの。そして、青白かった彼が真っ暗になって。そして、その子は学級委員になって、いちばん前の方に行って、バッタじゃなくなっていた。


前の方を向いて立っとった。それを主任の先生がですね、「みんな、こいつを見習え! こいつみたいになれ! こいつは新入生の時はバッタじゃった。いまはのう、ちゃんと立ちよるで!」みたいに。僕は未だにもって、彼の背中を見ているわけです。「バッタにはならない!」。そしてそのバッタになりそうなところでみんな、立っている。そこへカワノ先生だったと思うけども、教頭の怖い先生。とにかく声が大きい先生。「お前ら! 最近はなっとらん!」という。


で、なにが「なっとらん!」なのかっていうと、先生の今週の激おこぷんぷん丸。それはコーラのマシンができちゃったんですよ。紙のコップが出てくるコーラのマシン。これが、ほら。70円とか入れるとカタン……って紙コップが出てきて、そこにチャーッと入るっていう、ああいう昭和のドリンクディスペンサーですね。これが校内にできたということで、体育の後にみんながそれに並ぶ。それを見ていて「けしからん!」と思ったという。


「そんな軟弱なことをやってるんじゃない。お前ら、水でエエんじゃ!」と。それで最後に捨てゼリフ。僕らは一心不乱に気をつけてをして前を向いて聞いています。「お前らは色のついた水なんか飲むな! わかったな!」って言うんですよ。でもその日、体育があった。汗を流した。みーんな、並んでスプライト買ったのです。ではとりあえず1曲、聞いてください。


Cardi B『Bodak Yellow』


モーリー:まあ修道学園に行っていた私なんですけども、次第次第にその「質実剛健」「知徳ビョンジン」の修道学園に馴染んできました。そして、中2の1学期には学級委員、級長にもしていただいたんですね。投票になりましたので、人気が出ていたようです。で、顔はハーフなんだけれども、心の中は完全に日本人になって、愛国的な日本人でした。武士道を信じていました。その中で、父が転勤することになって。夏休みが終わったタイミングでアメリカに帰ります。


国籍はアメリカで、アメリカ生まれで5歳から13歳まで広島県にいたわけですね。これが13歳になってアメリカに戻ったわけです。戻ったところはノースカロライナ州。南部の州でいろいろと人種問題なんかもあったりする州で、いまだもってあまり解決してない側面もあるんですけども。そこの公立学校に行った。


(中略)


モーリー:そして、ノースカロライナで意中の女性にそのように肘鉄を食らってしまったモーリー・ロバートソンなんですけども。そのあたりからですね、とにかくダメ元で女性にアタックしようというスキルを身につけました。もうひとつ、ノースカロライナ州のダーラム・アカデミーは金曜の夜になるとそこらへんの青年バンドがバイトでやってきて。体育館を暗くしてライトをつけて、ディスコに早がわりする。


そこでKC&サンシャインバンドの『I'm Your Boogie Man』とかそういう曲をかけたりとか。あとはイーグルスの『New Kid in Town』をかけたりしてましたね。スローダンスで。そういうのをかけながらみんな踊っているわけですよ。で、踊り方っていうのはみんな本当にそれぞれで。ソウル的な踊りできる人もいれば、全然タコ殴り動きみたいな。私はタコ踊り派でしたけどもね。


それでフランスから来た留学生がいた時に覚えたてのフランス語で一緒に踊りませんか?って。その子のところに、暗がりに行って。「Voulez-vous Danser?」って言ったんですよ。そうすると相手が目をつぶって「うーん、いや」って横に振って。「Voulez-vous Danser?」「Non」っていうことで。「わかった、いい。大丈夫です」って。フランスの留学生とは踊ってもらえませんでした。で、また次の人のところに行って「踊ってくれ」って。


これを繰り返して、まあ場合によっては自分1人で「イエーイ!」って踊っていればいいという、こういう非常に牧歌的な13歳。かっとびハイスクールロケンロール。で、それをやって1年経ったら、また父が転勤した。アメリカって、特に連邦政府のエージェンシーに勤めている研究者とか公務員っていうのはしょっちゅう職場が変わるんですね。父は1年間、EPA(環境保全省)。


当時、公害とかと心臓病の相関を調べる研究とかやってたのかな? それを1年やった後、今度は飛ばされてサンフランシスコ市民病院の副病院長になったんですね。だからちょっとした栄転なんですけども、今度はサンフランシスコに行った。私、子供の頃は1、2年サンフランシスコで暮らしていたんですけども、また14歳になってサンフランシスコで暮らすことになった。で、14歳から15歳にかけてサンフランシスコにいたわけですけども。


(中略)


モーリー:で、そんな(学校職員のストライキが頻発して授業が進まない状況の)中で、「ダメだ、こりゃ!」って。ついでに俺、ストとかなんにも理解していなかったから。カッカしている先生をおちょくるようなことをやったんですよ。そしたらその先生、キレッキレになっていて。寝ていなかったんだと思うんだけど、僕の胸ぐらを掴んでロッカーにバーン!ってぶつけて「ぶっ殺してやるぞ、この野郎!」みたいになって。で、僕はそれにショックを受けて。「先生に暴力を受けた。わーん!」って親に言ったら、親が抗議して……とか。どんどんとなっていって。


それで「こんな学校はいてもしょうがない。私は修道に戻りたい。もっと多様性とか、人種が違って中国人がとか日本人がとかって言われたくない。もっとみんなとひとつのルールで俺は行きたいんだ。ひとつの中国、ひとつの日本、ひとつのモーリー!」っていうことで、「修道に戻してくれ」って言ったら高1から高2にかけての年齢で15歳になっていたから、親も「まあいいだろう」ということで、寮に入ったんですね。





留学生用の寮だったな。アジア文化会館とかいったかな? それでそこに入って、みんな広島大学に来ている中国人留学生とかベトナム人だったりしたんだけども、その中で唯一、未成年の俺がいた。で、そこから修道に通うことになりました。そうすると、2年いなかったモーリー。2年半のブランクで戻ってきたモーリー・ロバートソンがどういうことになっていたかというと、私はアメリカではそこそこのソーシャルスキルだったわけですよ。


ですけど、2年間で備えていたスキルがあった。それは、女性とお話をするスキルだったんですね。それまでは修道学園の男子学生たちは放課後、広島にひとつしかない繁華街である本通り。このね、天満屋・福屋が片方にあって、もう片方にそごうがあったりするんですけども。この間の数百メートルを歩いて、行ったり来たり、行ったり来たりするわけですよ。で、いまのパルコがあるところにノッポっていう喫茶店があって。そこらへん、ノッポのあたりまで行って曲がるので。ノッポの手前まで行ってまた戻ってくる。で、左側通行、左側通行で戻ってくるんですよね。


で、そういう本通りに毎日4、5人の友達グループで行って、放課後遊ぶ。「遊ぶ」っつっても、なんかぶらっとしてるわけですよ。で、その時に魚群探知機のような「コーン、コーン……」っていう音がして。何やら向こうから一群のなにかが見える。レーダーにちょっとかけたら……「比治山女子校の女子や」みたいな。で、女子の一群が向こうからくる。で、我々は恥ずかしくて、目がまっすぐ前向いたまま無言でその人たちと音もなく通り過ぎるんですね。男の一群と女の一群が。


これはさながら、映画『レッド・オクトーバーを追え!』のようでした。そしてお互いにね、聴診器をつけて「コーン、コーン……なにかが聞こえます、船長」みたいな。で、その時に修道の習わしっていうのは「女たちとは口を聞けん。よう聞かん」って。だから女の子たちとすれ違った時は、まっすぐ前を見て歩きます。女の子たちはませているので、こっちをチラッと見ながら1人がもう1人の人になんかコソコソッと言うと、「エヘヘ」「ウフフ」って。我々は笑われている。顔が赤くなる。まっすぐ歩く。しばらくすると「ハァハァ……怖かったのう!」みたいな。


それが普通だったんですけど、そこにね琵琶湖にブラックバスが来たように、モーリー・ロバートソンが回遊してきたんですよ。アメリカの回遊魚が。モーリー・ロバートソンは新しいソーシャルスキルでいままでの習わしをぶっ壊して。「ねえねえ、お茶しに行かんけ?」みたいな。彼女たちに声をかけ、そしてノッポに連れて行く。それで喫茶店でみんなで並んで、お見合いをする。モーリー、場合によっては司会をする。おもろいことを言う。アメリカの話をする。で、盛り上がってくるわけですよね。


そうすると私に神が与えたソーシャルスキルっていうのが、アメリカでは中途半端にしかファイアーしなかったのが、日本では競争相手が全くいない琵琶湖の中にイントロデュースされたモーリーブラックバスなんですよ。モーリー、向かうところ敵なし。女性たちに声をかけ放題です。で、アメリカでやった厚顔無恥作戦、散弾銃作戦で1人がダメならその友達に連絡すればいい。そいつがダメなら名簿で次の出席番号に行けばいいぐらいの感じで絨毯爆撃をして行ったんですね。当時、ニクソンとキッシンジャーがそれをやったんですけども。ちょっといまのネタは不謹慎だったんですけども。


絨毯爆撃方式でやった。そうすると、もう女子と話をするきっかけ作りは私に……トーク・トゥ・ミーっていうことで周りの同級生たちも「モーリー、女ってどんな感じなんか? あったかいんか?」「女の手は冷たいと思わんで。冷え性を除いてのう」みたいな。そういう感じで私は急ににわかに物知り。そしてみんなが持っていない何かを持っているというので、クラスの人気者になったんですね。みんな、フワフワしていた。





加えて、当時アメリカで半年前に『サタデー・ナイト・フィーバー』っていう映画が流行りました。ジョン・トラボルタ。そしてトラボルタの『Stayin' Alive』の踊り方がかっこよかった。ビージーズの音楽、ドナ・サマーです。これがかかるディスコで、サンフランシスコのハイスクールでもダーラム・アカデミー同様、毎週金曜日に踊っていたわけですよ。ハイスクールダンス。


で、日本にはこれがない。みんな踊れる? 踊れない。踊れるのは俺1人。やった! すごいアドバンテージ。「よし、じゃあみんなでディスコ行こうぜ!」ってドキドキしてみんなでディスコに行った。その時日本には、子供が入れるディスコはなかった。だからIDを見せないでそのまま通っちゃった。中には不良の子達もいました。暴走族も一部いたけど。そのディスコに行って踊っていたんですね。チチパパっていうディスコとか、インディペンデント・ハウスっていうディスコがあって。この2つによく我々、友達グループで行きました。


それでディスコに行って踊る。そこで女と知り合える。電話番号をもろうて。携帯じゃないから、相手の家でお母さんが電話に出てきて。「ああ、もしもし。お嬢さん、おられますか?」みたいな。そういう感じ。で、場合によっては相手がそれをバチン!って切っちゃうこともあったんですよ。だからダメ元でやる。恥ずかしくない。ということを自分は友達に伝授して、女との付き合い方博士みたいになったんです。それでディスコに行った。


あとね、インベーダーゲームが大流行しました。スペースインベーダー、初代タイトーです。100円玉を入れると「キュア、キュア、キュア、キュア、キュア……ドカーン!」ですよね。これで名古屋撃ちみたいなことをやろうとして、私は親から仕送られた生活費が21、2万円あったんだけども。広島銀行の口座に入ってたんですけど、気がついたら全てを100円玉に換金して、スペースインベーダーにつぎ込みました。2000回やったのか。1ヶ月ぐらいで。


それでインベーダーをやった。ディスコに行った。そして、女の子とも付き合った。で、その中で、大晦日に……A子という女子と私は付き合っていました。で、その子は実は幼馴染なんです。子供の頃から知っていた子と高校になってからまた会うようになって。この子はずっと広島にいて、僕はアメリカに行って帰ってきて。それで「あんたは面白いねえ」とか言われて、もうすごい子供の頃からの幼馴染の延長だったんですけども、初めて自分の下宿先に連れて行って。連れ込んで、チューをしたわけですね。


そうするともう耳たぶまで赤くしてしまったその女の子のA子はですね、「なんかこういうことはあんまりしちゃいけんけえ……」みたいな感じで。「これ以上は……」みたいに。で、僕がちょっと太ももに手を伸ばそうものならその手をパチーンと叩くみたいな。それでその先はもうこっちも恥ずかしくなっちゃって。冗談を言ったりして。それで「じゃあパフェでも食べに行こや」みたいな。こういう感じでずっとくすぶっていたんですけども。





そのA子の友達でハンドボール部にいるB子という女の子がいたんです。で、この子はちょっと影があるんですよ。A子はとっても垢抜けた明るい子で、とにかく冗談を言ってよう笑いよるみたいな女の子だった。B子はいろいろちょっと家庭の事情にいわくがあったりして。お父さんがプロフェッショナルのギャンブラーでめったに帰ってこないとか、なんかいろいろとあったみたい。で、その子の家で初めてユーミンを聞いたんだけどね。いまでもユーミンさんを映像とかで見ると、あのことしか思い出せないんでPTSDになる……。


それでその、お姉ちゃんの持っているユーミンのレコードを書けてくれたB子がですね、なんて言えばいいんだろうな? ゴシップ的に「A子とどこまでやったんね?」とかそういう風にけしかけるんですよ。で、その当時の男の子っていうのは「女にチャレンジされたら絶対に引き下がるわけにはいかんじゃろ!」とかって。「わしゃあA子とチューぐらいしよったぞ。お前ならもっとやらせてくれるんか?」みたいな風に言うと、ここからがね、運命の別れ目。Y字分岐。「いいよ」みたいになって。「おっ!」って。「アメリカでもやれなかったA’、B、B'へいけるんかの?」とかって思って、その子となんかとにかくいっぱい会うようになった。


そして冬休みになって大晦日の夜だったか夕方だったかに彼女をまた、自分の寮の部屋に連れて行って。そこでですね、うん。まあゴニョゴニョと上になったり下になったり、ぎこちなく手を伸ばしたり、伸ばされたりしながら何かをやったんですね。そして、イッたのは覚えている。ただ、何をやってイッたのかはよく覚えていない。「よう思い出せんわ。わしゃあ」みたいな。それでまあ、結局「やらせてくれるB子がいたんで、A子と付き合っとったんじゃがわしは……もうたまらんわ。やっぱりやりとうて、やりとうて。B子が差し出してくれるもんを食べんわけにはいかんじゃろ? 『据え膳食わぬは男の恥じゃ』言いますけえ……」みたいな感じで、まあ何をやったかはよくわからないけど、何かやっちゃったんですよ。


それでね、ちょっと後味が悪くってお正月三が日、A子に電話しなかった。当時はメールとかないですから、電話をしないとわからない。電話がかかってきても「ちょっとおらんって言っておいて」みたいな。それで、そのやったことのショックがあったんでB子とも恥ずかしうて……みたいな。そんなことがあって新学期になった。そうするとね、やっぱりA子が連絡がないっていうことでだんだんと不安になって、B子に尋ねたらしい。そうするとある段階でB子はせっつかれて「あんた、モーリーとおったやろ? 私がおらんかった大晦日にあんた、何しとったんね? 言うてみんちゃい!」みたいに言われてゲロっちゃった。


それをきっかけにあのA子さんはショックを受けて。「なんしよんね!」って言って寝込んで、そのまま入院して。神経性胃炎になったそうです。胃潰瘍に近いですね。で、B子がまたちょっとね、ここがB子子らしいんですけども。「あんた、聞いた? A子ね、神経性胃炎になりよったんよ。あんたのせいじゃ。ウフフ……」みたいな。それで、ここがツイステッドなんですけども、そうやってB子にそそのかされると、自分は加害者って言われた上に「なんか俺って女にモテて、女を壊している。俺、かっこいい!」って妙にくすぐられて、B子に無性に会いたくなったんですよ。


で、いま考えてみるとそれがB子の手練手管だったようにも思うんだよね。そうやって気を引くっていうか。いったいなにが起きているのか、高校なのでよくわからない。だけど私はある日、にわかに不安になりました。B子とようわからんことをやっていた。そして結局不安になっちゃったんで、ちょっと自分の不安をコントロールできなくなった結果、隣に座っとる女と付き合うとらん、女とよう目合わさん同級生がおったんじゃが、その子にある日、わしは言うたんよ。


「女とはどこまでやると子供ができるんかいのう?」「えっ、お前、やったんか?」「いやいや、B。B言うてわかるやろ? Bの、B’って言うんかいのう? Cまでは行っとらん。挿れとらんと思うんじゃけど、こすりつけて、出したんじゃ。ほしたらの、やっぱり出たのでも染み込んでいって、外から中に入ったりするんかいのう? 自分の意志であれは入っていくもんなんか?」みたいなことを聞いて。「いや、そうはならんと思うで」「ホンマか? ホンマか?」とかって聞いているうちに、隣の子が聞いていて。


「お前、やったんか!」みたいな。「いやいやいや、やってない、やってない!」って。そしたらもう2時間後、学校のあちこちで「モーリー・ロバートソン、おるやろ? あいつ、やったらしいで? 女子校の女と」「えっ、誰とやったんよ?」みたいな。で、もうその日の午後か翌日には、生活指導の教頭先生だったと思います。呼び出されて。「なんかお前に関する噂があるんじゃが……」みたいな。「いやいや、別に……」って。「お前、ディスコに踊りに行っとるじゃろ?」「ええ、行っています」「なんで踊るんじゃ?」って聞かれました。


「いや、体が踊りたいからです」「で、女と付き合うとるんか? 付き合っとらんのか?」って聞かれて。「付き合ってはいます」「なにをしたんじゃ?」「いや、ようわからんのです」「なんで女と会うんじゃ?」って聞かれて、「えっ、好きだから……」みたいに言うしかなかったですね。1曲、聞いてください。


Barely Alive『Devil's Tower』


(中略)


モーリー:2019年の東京から生放送でお届けしている『Morley Robertson Show』でございます。そして、私が15歳から16歳にかけての広島で起きたことをいま、リコールしている最中でございます。それでね、まあ結局学校に広まってしまった「モーリーは女子高の女とやったらしいで」みたいな話が先生の間にも当然、これは職員会議とかで議題になったそうなんですけれども。結局それからまあ、「そこは慎むように」ということで、ほどなく学級委員。まあ級長ですね。高2になった直後だったか、高1の3学期ぐらいだったかな? 級長が担任に指示されてみんなの生徒手帳を回収したんですね。箱に。


で、新しい箱を持ってきて、真新しい生徒手帳。まだ黒いインク匂いの匂いがする、そういう新しい改訂版の生徒手帳をみんなに配りました。前とほぼ同じだったんですよ。寸法もデザインも。ところが1ページ、薄紙が増えていて。そこに小さな文字で書いてあったのは、新たにルールが3つできていて。ひとつは「ディスコに行くべからず」。2つは「ゲームセンターに入り浸るべからず」。学生の本分は勉強にあり。


で、第三項、新たに追加されたルールが「不純異性交遊を禁ず」。これを後の人はきっと「モーリー法」と呼ぶに至ったと思いますが。私のために、3つの校則が改訂版で配られて。「ほら、ここに書いてあるからやってはいけないのだ」と。「なぜ女と付き合うのだ?」ということへの答えですね。「これは校則に違反しているから、やってはならない」という風に校則のゴールポストを修道学園は動かしたわけですよ。


そこで私はなかなかですね、納得がいかず。アメリカの教育っていうのはたしかに結果を出すの遅いんですけど、その代わりに基礎教育とか基礎研究とか、「Why?」というプロセスを大事にしてる教育なのでディベートが必要である。そしてこれはディベートなしで、先生とディスカッションがない状態でルールが一方的に決められて。なんか私1人を封じ込めるために学校のルール全部を決めて、全員で連帯責任で。


つまり、僕がこのまま抜け駆けをしてディスコで踊り続け、インベーダーに100円玉を入れ続け、そして女の子とようわからんけど妊娠するんかいの?って……結局しませんでした。そういうことをやることでみんなに連帯責任がかかるかのような、妙な雰囲気になっている。それで私は10円電話でB子に毎日電話をして。


「大丈夫か? 体に異変はないか? 今日どうなったんじゃ?」とかって言って。それで「あんたは何を心配しとるんね? あんたがそんなに心配しよるけ、うちも心配じゃあ」とかって言って。「じゃけ、どっちが心配せにゃいかんのよ。だってお前も子供は嫌じゃろ?」「どうだか?」みたいな。コケティッシュ? アメリカのサザンベル? これをB子が私に向かって広島でやっているわけですよ。


それでね、結局「どや? その生理ってやつは来たか? 生理来たか?」とかって1日に2回、電話しとった。そしたら彼女が忘れた頃に電話かかってきて。「なった」って言うんですよ。「はあー、よかったのう! これからちょっと会うて、チョコパフェ食べに行こうや! マクドナルドの隣の店で!」みたいな。


それで本通りに集まって、お祝いをしたんですよ。妊娠ならなかったお祝いみたいな。ところがその背景で入院から出てきたA子は、もうものすごい傷ついて。なんやようわからんけど、とっても長い手紙が投函されて送られてきて。わしはそれを読んだんかいのう? 読まなかったんかいのう? 捨てたような気がするけのう……みたいな感じで。A子には完全に冷めてしまって、まあB子に夢中になっていたわけですよ。





それで、そんなことがある中で、B子がある日、「うち、もうモーリーのこと好きになっちゃいけんのや。A子との友情があるけ、身を引くよ」とかって言われて。その「身を引く」みたいな言い方がまたすっごいセクシーで花魁っぽくて。なんなの、この胸のざわめきは。もうB子にモーリーは操られているわけですよ。そしてB子の友達で、A子の共通の友達でもあるスケバンがいたんだけども。そのスケバンとかと本通りですれ違った時に「あんた、覚えとき!」みたいに脅しつけられて。「女を泣かしたら、絶対にロクなことにならんのよ!」みたいにどやされて。それでスケバンだったし、付き合っているのも超不良の学校の子がいたんで。怖すぎて「すいません……」みたいになってたんですけど。


なんかうやむやにA子のみならず、やらしてくれたんかいのう? 何やっとったんかいのう、わしらは。まあ赤ちゃん産まれなかったけどのう。でも、なんかわしはイッた気がするで……みたいな。イカせて、そこまではスキルはなかったけえのう、みたいな。そのB子とも別れることになってしまった。そして、挙げ句の果てには「あなたは問題を起こしすぎり」っていうことで。


中には次に広島女学院のC子という子と付き合おうとしたら、それを自分の仲間内の子が僕がいない間に「あいつは不良でB子っていう女の子と妊娠騒動があったから、あんたは付き合うちゃいけん。わしと付き合いんちゃい」みたいに言ったら、C子が「ああ、モーリーさんは不良なんじゃ。じゃあ私、あなたと付き合うよ」ってKくんという子と……だからアメリカに里帰りして戻ってきたら、付き合うとったC子がKとくっついとるんですわ。


それで、C子から長い説教口調の……その子とはキスもしたことがない子なんだけども。箱入りで。「更生してください」とかってシャーペンで書かれた便箋で強い口調で書かれていて。わしゃあ超怒った。「なんでKが俺の女を取るんなら? あいつはぴしゃげたらんといかんぞ!」と。で、実はいろいろとそいつ、金持ちの息子で。これ以上言うと仲間内で誰かわかっちゃうから言わないけど。まあお金持ちでちょっと傍若無人に振る舞っているところがあって、みんななんらかの恨みを持って、いい感情を抱いていない仲間が多かった。


そこでわしはひとつのいたずらを考えついたんよ。どういうことか?っていうと、自習だった日に6人でKの持っているやたらエクスペンシブな自転車があったのね。これ見よがしに高い自転車で通学しとったけ。それを6人で取り囲んで、外、遠くから見てもわからんようにして、みんなで1/6ずつ自転車を担いで近くの宇品の防波堤に持っていって。「いのこ、いのこ、亥の子餅ついて、繁盛せい、繁盛せい!」って言って投げたんですよ。で、ドロの中にドサッと落ちて。結局、その自転車はしばらく1週間か2週間たってサビサビの状態で出てきたらしいです。


で、その時にまた嫌疑がかかってきて。やっぱり噂でどうもモーリーが怪しいっていうんで。「うん、やったよ。俺と他の仲間でやったよ。だからなんなの?」って言ったら、まあ謹慎兼自主退学勧告みたいになったんですよね。だから女絡み、不純異性交遊の想像妊娠ですらなかったんですけども、うっかりの「何をやったら妊娠するんかいのう?」発言が尾ひれはひれがついた不純異性交遊騒動と、別のC子をKくんに取られ、Kくんに対する報復としてイタズラの気持ちで、そいつのやたら高い自転車を海に放っ立ったわ! みたいなのが器物破損故意であるとまた、先生たちが大真面目になり。


「自主的に退学をしてくれるのであれば、内申書にミソがつかない」ということで。内申書っていうのがありまして。ここに「強制的に退学させました」っていうことになると、国公立を受けられなくなるのかな? というのがあるので、「どうしても国公立大学、東大とか受けたいのであれば……」って、アメリカから来たお母さんが「すいません」とかって話を聞きに行った時に、向こうが「これは教職員会の決定です。自主退学に応じるのであれば、内申書にはケチがつかないように保証できますけども、そうでなければ退学になってしまい、受けられなくなってしまいます」とか、まあいろいろと取引をして。いわゆる司法取引です。





それによって私は広島を追われる身になりました。で、まあそれからですね、今度は行き場がなくなったので母の里である富山県高岡市。そこに行って、それでまだパーマをいっぱいかけていたののパーマの名残りがちょっとずつ取れていく。それで広島で買ったボンタンの制服を着て行こうとしたら、おばあちゃんの実家に住んでたんですけど。おばあちゃんがね、「踊りたいんじゃ。ボンタン着たいんじゃ」って言うと、おばあちゃんが富山弁で「モーリーさん……」って。もう僕の袖を持って、おばあちゃん泣きながら言いました。


「デスコに行かんといて。女の子と付き合わんといて。もうこれ以上は堪忍! 本当にモーリーさん、堪忍!」とかって言われて。もうおばあちゃんに泣かれるから女の子と付き合えないし。ディスコなんてそもそも高岡市にないし。だからもうパーマも落とし、制服も高岡高校の制服を着て通学しました。それで行ったんだけれどもね、修道から電話がかかっちゃって。まあ照会をするわけですよ。「なんでこの子は転校してきたんですか?」みたいな。その中でも、「問題を起こす子で、しかも人を扇動する」ということで、私は高岡高校に行ってすぐに文化祭がなぜかあったんですね。3学期に入って。


それで私は仮聴講生だったんだけど。高岡高校に入って、その体育館でみんなが体育座りをしてるところで、軽音楽部がバンドをやっていた。学校の同好会かな? そこに飛び入りで、「ちょっと1曲、やらせてよ」って。世良公則&ツイストの『燃えろいい女』っていう歌を歌ったんですね。「燃えろいい女、燃えろナツコ、眩しすぎるお前との出会い~♪」ってやったんですよ。そしたらですね、レーダーで女子、男子、心に届いているぜ! 真実は俺から君へひとつだけだ! みたいな感じで心がブルッと揺れた。その波動を高岡高校の教頭先生が見逃すわけもなく、すかさず僕は軽音楽部へ出入り禁止にされました。


そして挙句の果てには誰だか分からないですけど、クラスの中に僕のことを密告する係が設けられまして。それを教頭先生が私に言いに来たんですよ。「お前に目をつけとる学生がいるからな。下手なことするなよ」みたいになって、私は八方塞がりになり。ディスコも高岡にない。女の子ともなかなか付き合えない。学校の中ではバンドに入ることもできない。どうすればいいの?っていうことで3、40分、普通列車で行くと県庁所在地の富山市があるんですけど。そこに行くと、ライブハウスがあったんですね。


で、そこに東京のバンドであるリザード、フリクション、P-MODEL、ヒカシューみたいなのがやってくるもんですから、東京ロッカーズを浴びてしまい。そこで覚醒をした。そこからはまた別の物語になっています。1年半後、私は東京大学とハーバード大学に同時合格をしたパンクロッカーとなったのです。今日のお話はここまでです。



番組情報

 「Morley Robertson Show」

https://block.fm/radios/28

生配信:毎週木曜夜 21:00 - 22:30


モーリーのアンテナがキャッチする波動は、ひと味違う。あなた自身が住んでいる「不思議の国」を味わってほしい。気が付いたら、地球防衛軍に入隊していたとしても、不思議ではない。ここでは毎日が入隊記念日。いろいろな旅をする人のための時間。いっとき、モーリーの視点から世界をのぞいてみてください。


written by みやーんZZ


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