名曲「ESCAPE」でおなじみのMOON CHILD(ムーンチャイルド)を紹介!

1990年代後半に活躍した日本のバンド・MOON CHILD(ムーンチャイルド)
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2018.09.25 02:30

1990年代後半に活躍、日本のバンド・MOON CHILD (ムーンチャイルド)とは? 


1996年にメジャーデビューした日本のバンド・MOON CHILD (ムーンチャイルド)は、1997年春に「ESCAPE」という大ヒット曲を生み出した。1999年に惜しまれつつ解散してしまったが、メロディーの良さに加えて歌詞も素晴らしい名曲やバンドの歴史などを紹介する。




MOON CHILDというバンドの初期の活動


MOON CHILDは、異なった地域から上京していた3人の男性ミュージシャンによって1996年に結成されたバンドである。結成当初は、ボーカル & ギターの佐々木収(1971年生)ベースの渡邊崇尉(1971年生)ドラムスの樫山圭(1970年生)によるスリーピースバンドとして知られていた。さらに同年秋にサポートメンバーだったギタリストの秋山浩徳(1970年生)が正式メンバーに加入し、フォーピースバンドとなる。


大半の曲は佐々木収が作詞・作曲しているが、彼が作る曲の素晴らしいメロディーや歌詞が最大の魅力となっている。avexに発掘された彼らは、Mr.Childrenのライブツアーにピアニストとして参加してきた事でミスチルファンにはお馴染みの存在だった浦清英プロデュースでデビューする事が決定。そして、1996年5月に「Brandnew Gear」でデビューしてから、スター性の高いMOON CHILDは大手レコード会社のavexから多大なバックアップを受けていた。なかなかヒット曲が出ない状況が続いてバンドとしてピンチを迎えていたが、1997年春に大きな転機がやってくる。




メロディー・歌詞共に素晴らしい「ESCAPE」が大ヒット


4thシングルまでなかなかブレイクが出来ない状態が続いてきたMOON CHILD。そんな彼らの5thシングル「ESCAPE」は、日本テレビ系ネット局にて1997年4月から6月まで全国放送された連続ドラマ「FiVE」の主題歌に起用された。このドラマはアウトローの世界を描いたドラマであったが、ドラマの内容と歌詞がマッチする主題歌の「ESCAPE」は回を重ねるごとに話題の曲となる。


そして、1997年5月末にシングルCDが発売されると、ドラマが終盤を迎えた6月に発売第3週目にして初のオリコンシングルランキング1位を獲得。ボーカル & ギターの佐々木収によって作り上げられた、このメロディー・歌詞共に素晴らしい名曲の誕生により、MOON CHILDは見事にブレイクを果たす。


作詞能力の高い佐々木が作った「ESCAPE」の歌詞は、優れた純文学小説のように素晴らしい言葉・表現が並び、作詞家として注目されるきっかけにもなった。なお当時、アーティスト名を短くして呼ぶ文化があった中、MOON CHILD には早速「ムンチャ」という愛称がついた。




「ESCAPE」ヒット後のMOON CHILD


「ESCAPE」の大ヒットによって一気に波に乗ったMOON CHILD は、立て続けに「アネモネ」「Hallelujah in the snow」というヒット曲も生み出す。メロディーと歌詞の素晴らしさを武器に、1998年に入っても順調にヒットを飛ばし続けてきたが、絶好調の中で惜しまれつつ1999年初頭に解散してしまった。そして、短い活動期間の中で「ESCAPE」など沢山の名曲を生み出したため、1990年代を代表する伝説のバンドの1つに数えられるようになっていった。





2013年に再結成


MOON CHILDの解散後、各メンバーはソロでの音楽活動・プロデュース業に励んでいた。代表的なキャリアとしては、2005年に佐々木が作詞を手掛けたAAAの「BLOOD on FIRE」が、素晴らしい歌詞の力もあって日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞している。


それぞれが順調なキャリアを歩んでいたが、2011年春の東日本大震災が発生し、地元が壊滅的なダメージを受けた岩手県出身の佐々木功は、地道に支援活動を続けていた。そんな中、MOON CHILD再結成を願う地元の声に応えて、地元を勇気づけるために2013年初めに伝説のバンドを再結成する事を発表。以降、それぞれのソロ活動と並行して断続的にMOON CHILDとしての活動を継続し、ファンを歓喜させている。


MOON CHILD解散の理由


2015年、解散から15年以上経った頃、取材で解散の理由をボーカルの佐々木がコメントしている。当時の解散理由は「すべてをやり切ったから」とされていた。


「バンド結成からライブ活動4~5回でメジャーデビューが決まり”夢みたいな気分”だった」と佐々木は語る。当時のギャラの配分は「(事務所の給料は)一緒」で、印税も最初はメンバーで分けたが、佐々木は「結講、仕事が全部、自分に来ちゃっていたので、ちょっと割に合わないかな、と。曲はみんなで割ろう、詞は僕が半分は欲しい。あとはみんなで分けてくれ、と。自分が100%はもらってないです」と打ち明けた。


メンバーにムカついたことは?と聞かれると「ミスったりすると、チッと思いましたけどね」と苦笑い。全国ツアーの間にも曲を作らなければ間に合わないほど多忙で、自身はホテルに缶詰めになっているのに、メンバーが遊びに行ったりすると「うらやましいな、と。それの蓄積ですかね。自分が作詞作曲にストイックになっている分、おまえらもストイックになれよ、みたいに強要していたところもあって」と振り返った。作詞と作曲も務めていた佐々木に一番の負担が大きかったのが解散の原因のようだ。


各メンバーの現在


2014年にはMOON CHILDとしての活動は行わなくなった各メンバーの現在を紹介しておこう。まずボーカル佐々木収は自身の作詞・作曲を手掛ける音楽を中心にソロライブ活動を行ったり、作曲家として楽曲を提供している。ベース渡邊崇尉は解散に最後まで反対していた1人だが、現在Facebookやtwitter、ブログなどのSNSでも発信していないため、音楽活動は行っていないと思われる。


ドラム樫山圭はヴィジュアル系ロックバンドでドラマーとして活躍するほか、プロデュースなども手掛けている。Fresh Cream、Salty-Sugarなど、複数のバンドでドラムとして活躍中。サポートからMOON CHILDのメンバーに一時期なった秋山浩徳は現在大物アーティストのギターを担当している。aikoのバンドメンバーに在籍、槇原敬之のライブにはほぼ参加。その他、宇多田ヒカルや上戸彩などのサポートとして活動を続けている。





source

https://anohitohaima.tokyo/post-251/



photo: moonchildyoutube


written by 編集部


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