Eminem(エミネム)はラッパーの中でも人気が高く、日本人でも非常に人気の高いアーティストだ。2000年代は彼を中心にしてヒップホップシーンが動いていたといっても過言ではない。そんなEminem(エミネム)の歴史について紹介していこう。
1972年のアメリカ合衆国のミズーリ州に生まれた。1986年の14歳の頃にManix and M&Mという音楽グループを結成し、ラッパーとしての道を歩み始めた。Eminem(エミネム)は聞き取るのが難しいほどに早口なラップを使いこなす"マシンガンラッパー"と称されるが、それはManix and M&M時代の経験が大きいと後に本人が語っている。Manix and M&Mでの活動の後にはthe New Jacks、Soul Intentというヒップホップグループにも加わっている。
1997年に自主制作のテープの「The Slim Shady EP」を発売して2万枚の売上を記録した。次第に注目されるようになったEminem(エミネム)は、ヒップホップ界の大物プロデューサーであるドクター・ドレーに見出されて、Aftermath Entertainmentというレーベルと契約することになった。1999年に「The Slim Shady EP」をベースにしながらアレンジを加えたメジャーデビューアルバム『The Slim Shady LP』をリリース。これが全米2位を記録する大ヒットになり、彼の名は全米に知れ渡った。全世界で600万枚もの超えるセールスでグラミー賞最優秀ラップアルバム部門を受賞した。Eminem(エミネム)の強烈な個性と高いラップスキルと、ドクター・ドレーのビートが見事な化学反応を起こしたというわけだ。これが大物アーティストEminem(エミネム)のスタートしての歴史の始まりだった。
セカンドアルバムの『The Marshall Mathers LP』が2000年にリリースされるとわずか1週間で179万枚を売り上げ、最終的に1700万枚以上にものぼった。この年もグラミー賞を受賞した。しかしながら、あまりにも有名になりすぎたために彼が楽曲中で攻撃したゲイ団体たちから訴訟を引き起こされることもあった。それでもEminem(エミネム)はめげることなくヒット曲を次々につくっていく。2002年のサードアルバムの『Eminem Show』は前作を大きく上回る1900万枚もの売上を記録。2004年のフォースアルバムの『Encore』のPVではマイケル・ジャクソンを揶揄するような表現があったことからマイケル・ジャクソンから反感を買うことになった。このPVの放送を中止するテレビ局も続出した。2005年にヨーロッパツアー中にプロデュース業に専念するために公演を突如キャンセル。ここでアーティストとしての歴史に終止符が付いたのかと思われた。
プロデューサー時代には、親友が亡くなったり、アルコール中毒に陥るなどプライベートでは苦しい時代をすごすことになった。しかしながら、2009年に久々のアルバム『Relapse』をリリースして4年間の静寂を打ち破る。一世を風靡したEminem(エミネム)はただでは転ばない。このアルバムは発売初週で60万枚も記録するなどまだまだスターとしての才能は消えていなかったのだ。2010年に『Recovery』というアルバムを発売して全米で340万枚以上のセールスを記録した。その後もアルバムを出すが、2013年から2017年までぱったりと活動がなくなる。再びファンはもうラッパーとしてのEminem(エミネム)は見れないのかと思ったが、その失望感を裏切るかのように、2017年12月にアルバム『リバイバル』をリリース。アルバム名が示しているように、Eminem(エミネム)の歴史は終わらずに再び復活したのだ。同年にBETアウォーズの授賞式でラップを披露してアメリカのトランプ大統領を揶揄したが、若い頃に培われたラップスキルは全盛期と比べてまったく衰えていない。
Photo: https://www.facebook.com/eminem/
Written by 編集部