Cornelius(コーネリアス)は映像作品がグラミー賞にノミネートされたこともある世界的アーティスト

簡単な経歴
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2018.06.14 02:25

Corneliusの簡単な経歴


小山田圭吾によるCornelius(コーネリアス)は、1990年代半ばの渋谷系アーティストブームを牽引してきたアーティストだ。ブーム終焉後は海外での活動を活発化させて映像作品がグラミー賞にノミネートされたこともあり、今後ますますの活躍が期待されるこのアーティストの歴史を振り返る。


生い立ちから1990年代半ばまで


Corneliusとは、小山田圭吾の芸名ではなく彼一人から成るバンド(プロジェクト)名のことだ。そんな小山田圭吾は1969年1月に東京にて生まれ、高校卒業後にアート・ファッション系の有名専門学校に進学する。しかし、家族・親戚にミュージシャンが多かったため音楽好きな反面もあった彼は、専門学校に通う傍らで「Pee Wee 60's」というバンドを組んで音楽活動もスタート。メジャーデビュー前に小澤征爾の甥っ子である中学校の同級生・小沢健二がバンドに加わってメジャーデビューした頃にフリッパーズ・ギターに改名し、「恋とマシンガン」などPV映像の完成度も素晴らしい多数の名曲を生み出す。


しかし、音楽性の違いなどからフリッパーズ・ギターは1991年に突如解散することになり、以降の小山田圭吾は、メンバーは彼1人だけのバンド・Corneliusを結成してソロ活動を開始した。すると、キャッチーな作品を作る小沢健二とは違い、Corneliusの音楽は決して一般受けする音楽ではなかったため枚数的に目立ったヒット作は出なかったものの、1993年にデビューして以降、様々な名曲を発表。小沢健二・ピチカートファイブ・カヒミカリィなどと共に1990年代半ばに起こった渋谷系アーティストブームの中心的な存在となる。


なお、ライバル・小沢健二はテレビに積極的に出演して国民的な人気を獲得する一方、小山田はあまり当時の音楽番組に出ることはなかった。しかし、一度だけ「HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP」という当時の国民的音楽番組に出演したことがあり、その際に披露した奇抜なライブパフォーマンスは番組史に残る名場面として語り継がれている。



1990年代後半から2000年代前半まで


1990年代後半に入ると渋谷系アーティストブームは終焉して彼らに対する注目度が薄まったことから小山田の心は海外に向くようになり、Corneliusは1997年にアメリカのレコード会社と契約。以降は海外を拠点に活動するようになり、2000年後に海外で発売したアルバムが高い評価を獲得して海外でもツアーが行えるほどの人気アーティストになっていく。




2000年代後半にはCorneliusの映像作品がグラミー賞にノミネート


2008年は、海外でさらに人気が高まるCorneliusにとって記念すべき年となった。2008年12月に映像作品「Sensurround + B-sides」が翌年2月開催の「第51回グラミー賞」において最優秀サラウンドサウンドアルバム賞に見事ノミネートされる。どんな映像作品かというと2008年3月に日本で発売されたビデオクリップ映像集「SENSURROUND」にボーナスCDも加えた海外発売作品で、結局受賞はならずもノミネートの一報は日本でも大きなニュースとなった。


また、グラミー賞ノミネートとは同じく1990年代後半から海外で活動し始めたライバル・小沢健二も成し遂げたことのない快挙のため、小沢に対して強いライバル意識を持つCorneliusファンの心を大きく歓喜させた。




近年のCornelius


映像作品がグラミー賞にノミネートされたことで、国内外にてさらに評価を高めたCorneliusは、2010年に入るとますますグローバルに活躍。一方、元YMOの高橋幸宏やテイトウワなどと共にMETAFIVEというバンドも結成し、こちらのバンドを通じて国内での音楽活動も行っている。


また、2017年には国内最大級の夏フェスFUJI ROCK FESTIVALに出演したが、2日目に長年のライバル・小沢健二と共に出演。同じ日の出演であったため、出演アーティストが発表された際は「フリッパーズ・ギター復活か!?」と音楽業界はこの話題で持ちきりになった。


photo: https://www.facebook.com/pg/corneliusofficial/photos/?ref=page_internal


written by 編集部

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