女性ラッパーのCARDI B(カーディ・B)の経歴とは?

生き様までカッコイイ!CARDI Bの経歴をまとめてみた
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2018.07.14 09:19

生き様までカッコイイ!CARDI B


全米の音楽シーンに突如現れた女性ラッパーかCARDI Bだ。2017年に発表した「Bodak Yellow」が全米チャートで3位に輝くなどの経歴を残しているのである。常識を覆すような迫力と彼女の生き様も注目され、瞬く間にスターになったのだ。色々なコラボアーティストを迎え、個性的な楽曲を発表しているのだ。


生い立ちから学生時代



1992年10月11日にドミニカ系の父親とカリブ系の母親の間に生まれたのがCARDI Bである。本名をBelcalis Almanzarといい、両親がカリブの継承という意味を込めてBacardiというニックネームで呼んでいたことからCARDI Bとして活動し始めたのだ。


ニューヨークのブロンクスで生まれ育った経歴があり、幼少期にはマンハッタンにあった祖母の家で暮らしていた時期もあるのだ。祖母との生活はとても穏やかで、部屋は狭かったものの楽しい時間をすごしていたのである。高校生のときには音楽を専攻で学び、大学にも進学したのである。高校生のときにはレディー・ガガの曲を披露し、その姿は現在のCARDI Bを彷彿させるものがあるのだ。大学生になってからは彼氏とその母親と一緒に暮らし始めるようになり、貧しい生活に加えて家庭内暴力も受けていたのだ。彼氏には愛想を尽かされてしまい、その妹はマリファナに溺れるという環境である。そんな生活を抜け出そうと若干18歳でストリッパーになったのである。


以前はスーパーに勤務していたのだが、一週間に稼げるのは200ドル程度。この金額では大学にも通えないが、ストリッパーなら一日に200ドルは稼げるのだ。スーパーから道を挟んだ向こう側にストリップクラブがあってマネージャー同士が知り合いだったこともあり、ストリッパーとして働くことを決めたのだ。さらに仕事内容まできちんと説明してくれたことに感動してその道に進んだのである。ストリッパーは身体を売るだけではない、世間では誤解させていることも多いと彼女はその時に知ったのである。後のインタビューでも自信の経歴について、「世の中はストリッパーやストリップクラブに嫌なイメージを持っているけれど、自分にはたくさんのものを与えてくれた」と発言しているのだ。ストリップクラブでお金を稼げるようになったことで大学にも戻れたという経歴もあるのだ。


デビューまでの経歴とコラボアーティスト



大学にも戻れたCARDI Bだったが、大学は中退してしまうのだ。でも彼女はSNSで注目を集め、ニューヨークの若手の人気ラッパーでもあるBobb Shmurdaがインスタでリポストしたことでさらに人気者になるのである。彼女のキャラクターが徐々に知れ渡り、モデルなのかコメディアンなのか、全く違う職種なのか騒がれるようになったのだ。様々な噂が飛び交う中、ストリッパーという仕事をしていると公表するとさらに注目度が増し、リアリティーショーのプロデューサーから連絡が来たという経歴の持ち主だ。このリアリティーショーはヒップホップやR&Bのドキュメンタリー番組で、スピンオフとしてアトランタやハリウッドバージョンもある人気番組である。CARDI Bはメインキャストに選ばれ、知名度を上げていくと共に音楽での経歴も積み上げていったのである。


 2015年にはコラボアーティストにShaggyとPopcaanを迎え、レゲエソングのリミックスてアーティストデビューをしたのだ。この曲は動画サイトで約25万回再生を突破したほどの人気だ。すぐにミックステープもリリースしたのである。この曲はほかのアーティストの曲に似ていると指摘を受けたことあるが、彼女は気にせずに活動をしているのだ。2017年にはレコード会社と契約し、過激な歌詞が印象的な「Bodak Yellow」は全米でブームになったのである。


 ファーストアルバムではラッパーの21サヴェージをコラボアーティストとして選んだ曲や、歌手のケラーニとコラボアーティストとして協力して貰った未発表曲が収録されているのだ。そしてCARDI B自身もコラボアーティストとしてブルーノ・マーズから依頼を受け、ブルーノ・マーズのアルバムも参加しているのである。ブルーノ・マーズはCARDI Bを本物のスターだと褒めているほどだ。コラボアーティストからも信頼されているのがCARDI Bなのである。


Photo: https://www.facebook.com/IamCardiB/


Written by 編集部

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