今やヒップホップは世界中にとって、なくてはならない存在といえるのではないだろうか。多くの人に音楽とダンスの面白さや楽しみを与えてくれるのが、ここまでの人気を集めることになった原動力となっていることはいうまでもない。そんなヒップアップを語るには、欠かせない面々を紹介しよう。
ヒップホップが好きな人であれば、グランドマスター・フラッシュは神様のような存在といえるだろう。その偉大な功績は今でも決して色あせることなく多くの人の胸に刻まれている。グランドマスター・フラッシュの本名はジョゼフ・サドラーズである。1958年1月1日バルバドス・ブリッジタウンの出身だ。ブリッジタウンといえば、その風光明媚な街並みが有名であり、年間に多くの人が観光で訪れることでも知られる。カリブ海に浮かぶという絶好のロケーションも人気に拍車をかけることにつながっているといえるのではないだろうか。そんな恵まれた環境がグランドマスター・フラッシュの才能を開花させることにもなったといえる。
グランドマスター・フラッシュの人生に大きな影響を与えることになったのが、クール・ハークである。クール・ハークもグランドマスター・フラッシュと同じく、世界を代表するDJだ。ジャマイカの出身であり、幼少の頃からの踊りに興味を持ち、それが後々の人生にも大きな結果をもたらすことになる原点となった。ヒップホップが日の目を浴びるようになったのは、1970代になってからだが、その礎を作ったのが、グランドマスター・フラッシュとクール・ハークそしてアフリカ・バンバータの3人であるといっても過言ではない。
アフリカ・バンバータについてもヒップホップの発展に大きく貢献をした人物の一人として欠かすことはできない。アメリカニューヨーク州ブロンクス区出身のミュージシャンでありDJでもある。彼の功績としては、黒人の創造性文化をヒップホップと名付けたということもさることながら、早々にヒップホップの四大要素を提案した点である。更には「知識」を5番目の要素に加えたことでも有名だ。
グランドマスター・フラッシュは、グランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴを結成した。そして1979年以降、「ザ・メッセージ」などの数多くのラップレコードを世に送り出した。その「ザ・メッセージ」は、当時の若者たちの生活の苦しさをラップにした楽曲であり、瞬く間に若者たちの間で話題を集めることになった。そしてニューヨークとその周辺エリアだけで50万枚以上も売れたともいわれる。ただ単に楽曲を作り上げるということにとどまることなく、社会に渦巻く不満や不安などを楽曲にメッセージとして込めることができたのが、ここまで多くの人に受け入れられることになったといえるのではないだろうか。「ザ・メッセージ」の爆発的なヒットにより、追随するミュージシャンやDJも続々と登場することになる。そして若者たちを中心とした多くの人から支持を集めることになった。ヒップホップが音楽の一つのジャンルとして定着するようになったのもこの時期以降である。
グランドマスター・フラッシュといえば、DJにとっては欠かせないテクニックの一つであるスクラッチを導入したことでも知られる人物である。直訳すれば「削る」という意味だが、ヒップホップでいうところのスクラッチでは、その楽曲をより盛り上げるためにも必要な技術である。このように数々の功績を残したグランドマスター・フラッシュは、2007年に自身が中心的な役割を果たすことになったグランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴとしてロックの殿堂入りを果たすことになった。
Photo:
https://twitter.com/djflash4eva
https://www.facebook.com/pg/grandmasterflashofficial/photos
Written by 編集部