Armin van Buuren(アーミン・ヴァン・ブーレン)がDJとしてもっとも有名になったという話は尽きない。トランスを主軸とした音楽にEDMの要素も取り入れたプレイは長い時代愛され続ける彼の所以だ。
世界DJランキング(DJ MAG “TOP 100 DJs”)で、5度の世界No.1 DJ(2007年~2010年、2012年度)に選出されているほか、12年間のうちに連続して3位以内にも選出されている。時代に合わせた音楽を提供していなくては、とてもこの記録には到達できない。
2013年にはオランダ国王即位式典でのDJプレイも話題となった。DJとしてここまでの評価は世界的に見ても珍しい。
https://www.youtube.com/watch?v=GeVvRGkXTLc
Armin van Buurenは1976年12月25日にオランダのライデンに生まれた。若い頃から音楽にはまり込み、10歳の頃に母親に買い与えられたコンピューターで音楽制作の技術を学び、友人に作った音楽を配るようになった。間も無くしてプロデューサーの目に止まった彼の人生は、誰もが羨むサクセスストーリーだ。
勉強の方でも弁護士を目指すほどの学歴で、オランダのライデン大学法学部をDJ活動が忙しくなり休学するが、のちに3年をかけて卒業するほどの努力家でもある。成功の陰に玄人と努力をしているところも彼が尊敬されるところかも。
フェスでのプレイだけでなく、音楽を愛する気持ちはこんな場所でも数字となって表される。800回を超える長寿番組としても知られるラジオ「A State of Trance」は常に今のArmin van Buurenがどこを目指しているのかを感じることのできる唯一のプログラムだ。
2009に公開された「A State of Trance」の記念すべき第一回目を聞いてみよう。
9年たった今でもまるで色あせない音楽にはまさに脱帽だ。
また、レーベル、Armada Music(アルマダ・ミュージック)はArmin Van Buurenが、2003年に、Maykel Piron、David Lewisとともに設立。幅広くオランダの若手プロデユーサーを発掘、オランダの音楽を世界へ紹介する。
音楽、家族、国を愛しすべてのファンに感謝する姿勢は世界一になっても変わらない。
世界中のフェスティバルのヘッドライナーとして出演するArmin Van Buurenは、2015年には2度の来日を果たす異例の事態。世界のビッグフェスとしても名高い、EDC、そしてULTRAのでのプレイは世代を超え全てのダンスミュージックファンを虜にした。
1997年に彼をスターダムに押し上げた作品はこちら「Blue Fear」。若干20歳で作り上げたこの曲はあなりにも有名な一曲として覚えておきたい。
グラミー賞にもノミネートされた、「This Is What It Feels Like」は彼を一般の人にまで知らしめる作品としてあまりにも有名。
ウケ狙いで制作したという「Ping Pong」は数々のDJがこぞってプレイした。
ステージでも観客を驚かせる仕掛けを常に考えている。動きに合わせて光を操作するこの技術はアームバンド「MYO Armband」を使用している。見ているだけでも面白いですね。
2012年に資産は50億円を超え、今も当時と全く異色なく稼いでいるのだから、世界で成功するDJは夢がありますね。自家用ジェットや愛車、とんでもない豪邸の写真も彼のSNSを通して見ることができる。
まさにDJとして世界的にも大成功を収め、生きる伝説となったArmin van Buurenの今後の活躍もぜひチェックして欲しい。
https://twitter.com/arminvanbuuren
https://www.facebook.com/arminvanbuuren/
Written by 編集部