Anderson .PaakはLAのシンガー・ラッパー・プロデューサーである。また、ヒップホップ・ミュージックの分野で、有名プロデューサーの一人であるDr. Dre(ドクター・ドレー)と6曲もコラボレーションを行っているという実力のある人物である。ここでは、Anderson .Paakについてや彼の活動について説明する。
Anderson .Paak(アンダーソン・パーク)はカリフォルニア州オックスナード出身、1986年生まれのシンガー・ラッパー・プロデューサーとして活動している人物である。フルネームはbrandon paak anderson(ブランドン・パーク・アンダーソン)であり、ミドルネームであるpaakは母親が韓国系であることから韓国の名字である朴(パク)に由来しているとされている。
Anderson .Paakは10代の頃から音楽制作を始め、ドラマーとしてもバンドやツアーに参加するなどの活動を行ってきた。音楽活動を行う上ではBreezy Lovejoy(ブリージー・ラヴジョイ)と名乗っていた時期があり、2012年にブリージー・ラヴジョイ名義でリリースしたミックステープ「O.B.E. Vol. 1」が注目を集めたこともあった。2013年に発売した「Cover Art」からはアンダーソン・パーク名義に変更して音楽活動を行っている。2014年には他のアーティストとのコラボレーションを果たしたほか、デビューアルバムである「Venice」をリリースしている。その翌年の2015年にはノーウォーリーズ(NxWorries)というノレッジ(Knxwledge)とのユニットでの活動を始めるなど、幅広い音楽活動を行っている。また、ノーウォーリーズとしてのデビュー曲「Link Up & Suede」をリリースしながら2016年1月には自身のニューアルバム「Malibu」やノーウォーリーズのフルアルバムを発売している。
輝かしい音楽活動を行っているAnderson .Paakであるが、音楽活動を本格化する前にはカリフォリニア州サンタ・バーバラにあるマリファナ農園で働いていたが、突然解雇され、結婚した妻と2人の間に生まれた幼い息子と共に一時ホームレスになってしまったという過去がある。そんな時にLAのヒップホップグループであるSa-RaのメンバーであったShafiq Husaynのアシスタントとして働くことができ、生活を取り戻すことができるようになった。この出来事がきっかけとなり、LAにおいて音楽活動を行うようになったのである。
LAのヒップホップグループであるSa-RaのメンバーであったShafiq Husaynのアシスタントとして働いたことがきっかけとなり音楽活動を始めていくAnderson .Paakであったが、Anderson .Paakが有名になる転機としてはDr. Dreとの出会いがある。Dr. Dreはヒップホップ・ミュージックの分野で、最も影響力があり、最も有名かつ成功しているプロデューサーの一人であると言われる人物である。
Dr. Dreと出会う前に公開されていたStones Throw Records所属のプロデューサーであるKnxwledgeと一緒に歌っている「Suede」という曲を聞いたDJ DahiというプロデューサーとDr. DreのレーベルであるアフターマスのA&RをやっているTy Cannonが、DJ DahiとDr. Dreがやっているプロジェクトがあるが参加してみないかとAnderson .Paakに声をかけたことがきっかけとなりAnderson .PaakとDr. Dreは出会うのである。その後、Dr. Dreに才能を認められ、結果的にDr. Dreがリリースするアルバム曲のうち6曲にフィーチャリングすることとなった。Dr. Dreのほかにも多くのアーティストと曲のコラボレーションを行っているAnderson .Paakであったが業界でも有名なDr. Dreと何曲もコラボレーションを行っていることでその実力も確立されたものになっていったのである。
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Written by 編集部